かわかみおとじろう【川上音二郎】
[1864〜1911]俳優。福岡の生まれ。浮世亭〇〇 (まるまる) と名のって自由民権論を鼓吹する、おっぺけぺえ節を歌い、寄席の人気者となった。のち川上書生芝居(新派劇の前身)を興し、妻の貞奴 (さだやっこ) とともに欧米を巡業し、西洋演劇を日本に紹介、明治新演劇運動の先駆者となった。
かわかみさだやっこ【川上貞奴】
[1871〜1946]俳優。東京の生まれ。本名、さだ。芸者時代に川上音二郎と結婚。夫とともに欧米を巡業し、女優として舞台に立った。また、帝国女優養成所を設立、後進の育成に尽くした。
かわかみすみお【川上澄生】
[1895〜1972]版画家。神奈川の生まれ。北アメリカを放浪して帰国後、教職のかたわら木版画を制作。異国趣味の作風で知られ、詩画集などの木版本を刊行。
かわかみそうろく【川上操六】
[1848〜1899]軍人。陸軍大将。鹿児島の生まれ。欧州視察後、陸軍の兵制をフランス式からドイツ式に転換させた。日清戦争の時、大本営参謀として作戦を指導した。
かわかみてつじ【川上哲治】
⇒かわかみてつはる(川上哲治)
かわかみてつはる【川上哲治】
[1920〜2013]プロ野球選手・監督。熊本の生まれ。昭和13年(1938)巨人入団、翌年には首位打者となる。昭和31年(1956)には2000本安打選手の第1号となった。赤いバットを使用したことから「赤バット」と呼ばれて活躍。「ボールが止まって見える」の名言を残し、「打撃の神様」と称された。引退後、巨人の監督に就任し、チームを9年連続の日本一に導いた。
かわかみとうがい【川上冬崖】
[1827〜1881]幕末・明治初期の画家。信濃の人。旧姓、山岸。名は寛。通称、万之丞。初め大西椿年 (おおにしちんねん) に師事、四条派の絵や南画を学ぶ。川上家を継いで、幕府の蕃書調所 (ばんしょしらべしょ) で洋画法を研究、指導。明治維新後は洋画塾を開いて後進を指導した。
かわかみびざん【川上眉山】
[1869〜1908]小説家。大阪の生まれ。名は亮 (あきら) 。硯友社同人。反俗的な社会批判を含む観念小説を発表したが、文壇の流れに合わず、自殺。小説「書記官」「観音岩」、随筆「ふところ日記」など。
かわかみひろみ【川上弘美】
[1958〜 ]小説家。東京の生まれ。中学・高校の理科教師を務めたのち、文筆活動に入る。「蛇を踏む」で芥川賞受賞。「真鶴」で芸術選奨。他に「溺レる」「センセイの鞄」「古道具中野商店」など。
かわかみふはく【川上不白】
[1716〜1807]江戸中期の茶の宗匠。紀伊国新宮の人。表千家の7世如心斎の門人。師命を受け、江戸に千家の茶を広め、その門流は江戸千家とよばれた。