かわしまじんべえ【川島甚兵衛】
[1853〜1910]織芸家。京都の生まれ。西陣織生産に功績をあげ、渡欧して日本と外国の技術を総合し、旧来の唐織 (からお) り・綴 (つづ) れ織りなどを壮麗な芸術品に発展させた。
かわしまたけよし【川島武宜】
[1909〜1992]法学者。岐阜の生まれ。東大教授。民法・法社会学の研究に業績を残す。著作に「日本人の法意識」「科学としての法律学」「日本社会の家族的構成」など。平成3年(1991)文化功労者。
かわしまひろもり【川島広守】
[1922〜2012]官僚。福島の生まれ。昭和17年(1942)内務省に入り、警視庁警備局長時代には、大学紛争・安保闘争の警備を担当。内閣官房副長官を経て、同59年プロ野球セリーグ会長に就任。その後平成10年(1998)よりプロ野球コミッショナーを務めた。
かわしまゆうぞう【川島雄三】
[1918〜1963]映画監督。青森の生まれ。「還って来た男」で監督デビュー。スラップスティック喜劇や風俗喜劇で知られる。水上勉原作「雁 (がん) の寺」など、文芸作品でも評価された。他に「幕末太陽伝」「女は二度生れる」「しとやかな獣」など。
かわしまよしこ【川島芳子】
[1907〜1948]満蒙の独立運動家。清朝王族の粛親王の第14王女。大正2年(1913)、川島浪速 (なにわ) の養女となり来日。昭和の初め、清朝の再興を画策し上海に渡り、日本軍の工作員として諜報活動に協力。日本の敗戦後、中国で逮捕され国賊として銃殺された。本名は愛新覚羅顕㺭 (あいしんかくらけんし) 、中国名は金璧輝。東洋のマタ=ハリ、男装の麗人とも呼ばれた。
かわしまかつじ【川島勝司】
[1943〜 ]野球選手・監督。栃木の生まれ。社会人野球で内野手として活躍。監督に就任すると、都市対抗野球でチームを三度の優勝に導いた。アトランタオリンピックでは日本代表チームの監督を務め、銀メダルを獲得した。