・・・このほかにエリオットのおった家とロセッチの住んだ邸がすぐ傍の川端に向いた通りにある。しかしこれらは皆すでに代がかわって現に人が這入っているから見物は出来ぬ。ただカーライルの旧廬のみは六ペンスを払えば何人でもまた何時でも随意に観覧が出来る。・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・けれども、川端康成が三月号の『文学界』に発表している「天授の子」をよめば、現代の文学者が、その理性と人間的な感覚とを日本人の運命とその文学の運命とについて、どのように働かせはじめているかということは明瞭である。世界平和のために戦争挑発とたた・・・ 宮本百合子 「五月のことば」
・・・に名をつらね、作家そのものの道に立って平和を守ろうとする川端康成の提案を支持してもいるのである。 高見順との対談で丸山真男が「物質的な面ではそうですけれども社会的な価値とか、役割とかではやはりアウト・ロウ的でしょう」と云い、高見順がそれ・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・「たとえば佐藤春夫氏の『星』や『女誡扇綺談』等の作品に流れる世間への憤懣の調べ、川端康成氏の描く最もほのかに美しい世界、あるいは僕らの同じ心の友だちの……。こういう立派な芸術の美しさをまず僕はあらゆる日にとらねばならない。」とする保田与重郎・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・それは、これらの同人雑誌は、一九二五、六年ごろ川端康成その他十九名の同人によって発刊された『文芸時代』のように、「新感覚派」という一つの文学流派を旗じるしとしていないという点である。また「『戦旗』創刊と対立するもの」として、『近代生活』『文・・・ 宮本百合子 「しかし昔にはかえらない」
・・・ 川端康成氏は、今日の文壇で、自身としての芸術的境地を守ること、切磋琢磨することのきびしい作家の一人として一部の尊敬を得ているのであるが、今月の「父母」の最後の章の効果を、作者自身は何と見るであろうか。慶子という少女の青春の美をめぐって・・・ 宮本百合子 「十月の文芸時評」
・・・未来派は心象のテンポに同時性を与える苦心に於て立体的な感覚を触発させ、従って立体派の要素を多分に含み、立体派は例えば川端康成氏の「短篇集」に於けるが如く、プロットの進行に時間観念を忘却させ、より自我の核心を把握して構成派的力学形式をとること・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・また、藪の中の黄楊の木の胯に頬白の巣があって、幾つそこに縞の入った卵があるとか、合歓の花の咲く川端の窪んだ穴に、何寸ほどの鯰と鰻がいるとか、どこの桑の実には蟻がたかってどこの実よりも甘味いとか、どこの藪の幾本目の竹の節と、またそこから幾本目・・・ 横光利一 「洋灯」
・・・ さて右のごとき問題を抱いて諸家の作品を遠くからながめる。川端竜子氏の『慈悲光礼讃』は、この問題に一つの解案を与えるものであるが、我々はこれを日本画の新しい生面として喜ぶことができるだろうか。薄明かりの坂路から怪物のように現われて来る逞・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・ 例外の二は川端龍子氏の『土』である。日本絵の具をもって西洋画のごとき写実ができないはずはない――この事実を氏は実証しようとしているかに見える。小林氏が写生を試みて写実にならなかったのとは著しい対照である。また小林氏ができ得るだけ静かな・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
出典:青空文庫