・・・ただ山の手の巡回中、稀にピアノの音でもすると、その家の外に佇んだまま、はかない幸福を夢みているのですよ。 主筆 それじゃ折角の小説は…… 保吉 まあ、お聞きなさい。妙子はその間も漢口の住いに不相変達雄を思っているのです。いや漢口ばか・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
・・・小田原町城内公園に連日の人気を集めていた宮城巡回動物園のシベリヤ産大狼は二十五日午後二時ごろ、突然巌乗な檻を破り、木戸番二名を負傷させた後、箱根方面へ逸走した。小田原署はそのために非常動員を行い、全町に亘る警戒線を布いた。すると午後四時半ご・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・ 或殿が領分巡回の途中、菊の咲いた百姓家に床几を据えると、背戸畑の梅の枝に、大な瓢箪が釣してある。梅見と言う時節でない。「これよ、……あの、瓢箪は何に致すのじゃな。」 その農家の親仁が、「へいへい、山雀の宿にござります。」・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・渠は明治二十七年十二月十日の午後零時をもって某町の交番を発し、一時間交替の巡回の途に就けるなりき。 その歩行や、この巡査には一定の法則ありて存するがごとく、晩からず、早からず、着々歩を進めて路を行くに、身体はきっとして立ちて左右に寸毫も・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・いつでもそんなことを言って、巡回しないらしいのよ」 大家の主婦に留守を頼んで信子も市中を歩いた。 三 ある日、空は早春を告げ知らせるような大雪を降らした。 朝、寝床のなかで行一は雪解の滴がトタン屋根を忙しくた・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・父はこの淀井を伴い、田崎が先に提灯をつけて、蟲の音の雨かと疑われる夜更の庭をば、二度まで巡回された。私は秋の夜の、如何に冷かに、如何に清く、如何に蒼いものかを知ったのも、生れて此の夜が初めてであった。 母上は其の夜の夜半、夢ではなく、確・・・ 永井荷風 「狐」
・・・ ジュネに於ける国際連盟の都市衛生顧問は、世界に於て最も衛生施設の行届いた都会としてロンドンをあげるだろう。巡回看護の制度はロンドンで最初に制定されたと。ロンドンで病院と云えばほとんど無料病院の同義語ではないか、と。たしかにイギリス・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
・・・しかしそんな奴の出て来たのを見て、天国を信ずる昔に戻そう、地球が動かずにいて、太陽が巡回していると思う昔に戻そうとしたって、それは不可能だ。そうするには大学も何も潰してしまって、世間をくら闇にしなくてはならない。黔首を愚にしなくてはならない・・・ 森鴎外 「かのように」
出典:青空文庫