・・・こんな風にして、皆親しく往来するようになったのだが、兎に角文学界というものを起そうとしたのは、星野君兄弟と、平田禿木君とで、殊に男三郎君は、大学へ行って工科でも択ぼうという位の綿密な、落ち着いた人だったから、殆んど自分では表立って何も発表し・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・やはり、工科かね?」「そうじゃないんだ。みんな夢かな? 僕は、その熊本君にも逢いたいんだがね。」「何を言ってやがる。寝呆けているんだよ。しっかりし給え。僕は、帰るぜ。」「ああ、しっけい。君、君、」と又、呼びとめて、「勉強し給えよ・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・自分もなるほどと思ってその方はあきらめたが、さらば何をやって身を立てるかと考えても、やっと中学を出ようと云う自分に、どんな事が最も好いか分り兼ねた。工科は数学が要るそうだからやめた。医科は死骸を解剖すると聞いたから断った。そして父の云うまま・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・第一高等学校を経て東京帝国工科大学造船学科へ入学し、明治三十三年卒業した。高等学校時代厳父の死に会い、当時家計豊かでなかったため亡父の故旧の配慮によって岩崎男爵家の私塾に寄食し、大学卒業当時まで引きつづき同家子弟の研学の相手をした。卒業後長・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・しかし父がいろいろの理由から工科をやることを主張したので、そのころ前途有望とされていた造船学をやることになり、自分もそのつもりになって高等学校へはいった。ネーヴァル・アンニュアルなどを取り寄せていろいろな軍艦の型を覚えたり、水雷艇や魚形水雷・・・ 寺田寅彦 「田丸先生の追憶」
一 給仕人は電気 今春米国モンタナの工科大学で卒業生のために祝宴を開いた時、ボーイの代りに電気を使って御馳走した。一列に並べた食卓の真中に二条のレールを据え付け、この上を御馳走を満・・・ 寺田寅彦 「話の種」
・・・それで、なるべくこれをどこまでも研究してみようという考えを起こさぬでもなかったが、ある都合上高等学校では工科にはいり、三年の時改めて物理に転じ、もって今日に至ったのである。 記憶に便ぜんがため、自分は学校にいるうち抜き書きということをよ・・・ 寺田寅彦 「わが中学時代の勉強法」
・・・結婚したのは父が帝大の工科を出る年で、余り年より達がうるさいと、だから貴女がたのいる間は僕は嫁なんぞ貰わないと云ったんじゃないかと、大きい声で憤ったということをも聞いた。 私が生れた頃の家は小石川の原町にあって、今に骨ばなれがしやが・・・ 宮本百合子 「母」
出典:青空文庫