・・・ ほとんど腐朽に瀕した肉体を抱えてあれだけの戦闘と事業を遂行した巨人のヴァイタルフォースの竈から迸る火花の一片二片として、こういう些細な事柄もいくらかの意味があるのではないかと思われるのである。 四 子規・・・ 寺田寅彦 「子規の追憶」
・・・明治煉瓦時代の最後の守りのように踏みとどまっていた巨人が立ち腹を切って倒れた、その後に来るものは鉄筋コンクリートの時代であり、ジャズ、トーキー、プロ文学の時代である。 あの時に塔のほうへ近づいて行ったあの小犬はどうしたか。当時を思い出す・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
・・・百二十間の廻廊に春の潮が寄せて、百二十個の灯籠が春風にまたたく、朧の中、海の中には大きな華表が浮かばれぬ巨人の化物のごとくに立つ。……」 折から烈しき戸鈴の響がして何者か門口をあける。話し手ははたと話をやめる。残るはちょと居ずまいを直す・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・音なくて颯と曇るは霧か、鏡の面は巨人の息をまともに浴びたる如く光を失う。今まで見えたシャロットの岸に連なる柳も隠れる。柳の中を流るるシャロットの河も消える。河に沿うて往きつ来りつする人影は無論ささぬ。――梭の音ははたとやんで、女の瞼は黒き睫・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・「汝が祖ウィリアムはこの盾を北の国の巨人に得たり。……」ここにウィリアムとあるはわが四世の祖だとウィリアムが独り言う。「黒雲の地を渡る日なり。北の国の巨人は雲の内より振り落されたる鬼の如くに寄せ来る。拳の如き瘤のつきたる鉄棒を片手に振り翳し・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・これは丸形の石造で石油タンクの状をなしてあたかも巨人の門柱のごとく左右に屹立している。その中間を連ねている建物の下を潜って向へ抜ける。中塔とはこの事である。少し行くと左手に鐘塔が峙つ。真鉄の盾、黒鉄の甲が野を蔽う秋の陽炎のごとく見えて敵遠く・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ サア! 巨人よ! 轢殺車を曵いて通れ! ここでは一切がお前を歓迎しているんだ。喜べこの上もない音楽の諧調――飢に泣く赤ん坊の声、砕ける肉の響き、流れる血潮のどよめき。 この上もない絵画の色――山の屍、川の血、砕けたる骨の浜辺。・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・西欧の芸術家、たとえばトルストイなどは、身近な芸術上の巨人として、文学の芸術性と社会性との問題などでは身を挺して苦悩し、その判断に矛盾をも示した芸術家であったと思う。芥川龍之介の精神は、何故この或る日のトルストイを作品の主人公とはせず馬琴を・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・直情径行で妥協ぎらいで廉潔なカールは、イエニーから見れば本当に巨人的な子供であった。その鼻の形が示しているように気短かなところがあるカールは、何かにつけてイエニーの驚くべき公平な判断と聰明を必要とした。 イエニーはカールの読みにくい原稿・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・ ミケルアンジェロという巨人的な天才の生涯と芸術とは、決して運命の気まぐれで生れたものではなかった。彼の人及び芸術家としての壮大な歓び、悲しみ、辛苦、不撓な芸術への献身などは、ルネサンスの花咲きみちた十五世紀の伊太利、その自由都市国家フ・・・ 宮本百合子 「現代の心をこめて」
出典:青空文庫