・・・発表数日後、つぎの如き全く差出人不明のはがきが一枚まい込んで来たのである。 うつしみに きみのゑがきし をとめのゑ うらふりしけふ こころわびしき 右、春の花と秋の紅葉といずれ美しきという題にて。・・・ 太宰治 「もの思う葦」
九月中旬の事であった。ある日の昼ごろ堅吉の宅へ一封の小包郵便が届いた。大形の茶袋ぐらいの大きさと格好をした紙包みの上に、ボール紙の切れが縛りつけて、それにあて名が書いてあったが、差出人はだれだかわからなかった。つたない手跡・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・ この抗議のはがきの差出人は某病院外科医員花輪盛としてあった。この姓名は臨時にこしらえたものらしい。 この三月にはまた次のような端書が来た。「始めて貴下の随筆『柿の種』を見初めまして今32頁の鳥や魚の眼の処へ来ました、何でも・・・ 寺田寅彦 「随筆難」
・・・明晩までに、差出人なしに「承知」と云う電信をお発し下さいましたら、わたくしはすぐにパリイへ立つことにいたしましょう。済みませんが、も一つお願いがございます。御親切ついでに、どうぞあなたの方からお尋なすって下さいまし。あなたのお住いへ伺うこと・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・そしたらある日署長のとこへ差出人の名の書いてない変な手紙が行ったんです。署長が見たら今のことでしょう、けれども署長は笑ってました。なぜって巡査なんてものは実際月給も僅かですしね、くらしに困るものなんです。」「なるほどねえ、そりゃそうだねえ。・・・ 宮沢賢治 「バキチの仕事」
・・・ 差出人は、同級会幹事の誰それとしてあり、宛名は、まぎれもない自分だ。けれども、内容がはっきり心に写らない。文句は、深田様がお産で去月何日死去されましたから、御悔みのしるしに何か皆で買ってあげたい、一円以上三円位まで御送り下さい、という・・・ 宮本百合子 「追想」
出典:青空文庫