・・・りて行く道は、灯明の灯が道から見える寺があったり、そしてその寺の白壁があったり、曲り角の間から生国魂神社の北門が見えたり、入口に地蔵を祠っている路地があったり、金灯籠を売る店があったり、稲荷を祠る時の巻物をくわえた石の狐を売る店があったり、・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・またたとえばわが国古来の絵巻物のようなものも、視覚的影像の連続系列であるという点では似た要素をもっていないとは言われない。それからまた、眼底網膜の視像の持続性を利用するという点ではゾートロープやソーマトロープのようなおもちゃと似た点もあるが・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・そうしてかの有名な高山寺蔵の絵巻物の画面を思い起こしながら、「絵巻物と活動時代」という一つの論題に思い及んだ。 絵巻物というものの最初のイデーはおそらく舶来のものかもしれないが、ともかくこれはかなりに偉大なイデーである。そうしてある意味・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・その世界では現在あるような活字で印刷した書物の代りに映画のフィルムのようなものが出来ていて、書庫の棚にはその巻物がぎっしり詰っている。小説でも歴史の本でも皆そういう巻物になっていて、それを机上の器械にはめてボタンを押すとその内容が器械のスク・・・ 寺田寅彦 「教育映画について」
・・・ 富田渓仙の巻物にはいいところがあるが少し奇を弄したところと色彩の子供らしさとが目についた。 あれだけおおぜいの専門的な研究家が集まってよくもあれほどまでに無意味な反古紙のようなものをこしらえ上げうるものだという気がする。 これ・・・ 寺田寅彦 「昭和二年の二科会と美術院」
・・・自分がペンク氏から借りて持って来た海図の巻物を、なんだと聞かれたから、いいかげんのイタリア語でカルタマリーナと答えたら、わかったらしかった。 ホテル・ロアイヤールというのの馬車でハース氏の親子三人といっしょに宿へ着いた。ハース氏が安い部・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・すなわち、書物の代わりに活動のフィルムの巻物のようなものができていて文字を読まなくても万事がことごとくわかることになっている。しかしこれは少し書物というものの本質を誤解した見当ちがいの空想であると思われる。 それにしても映画フィルムがだ・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・と云って持出して来たのが一巻の絵巻物であった。よほど貴重なものと見えて、内証で見せてやるという条件つきであったような気がする。残念ながら詳しいことは覚えていないが、とにかくその巻物の中にはありとあらゆる鯨の種類それから親類筋のいるか、すなめ・・・ 寺田寅彦 「初旅」
・・・一巻の絵巻物が出て来たのを繙いて見て行く。始めの方はもうぼろぼろに朽ちているが、それでもところどころに比較的鮮明な部分はある。生れて間もない私が竜門の鯉を染め出した縮緬の初着につつまれ、まだ若々しい母の腕に抱かれて山王の祠の石段を登っている・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・実際科学の巻物には始めはあっても終わりはないはずである。 後記 ルクレチウスの書によってわれわれの学ぶべきものは、その中の具体的事象の知識でもなくまたその論理でもなく、ただその中に貫流する科学的精神である。この意味で・・・ 寺田寅彦 「ルクレチウスと科学」
出典:青空文庫