・・・当時都下の温泉旅館と称するものは旅客の宿泊する処ではなくして、都人の来って酒宴を張り或は遊冶郎の窃に芸妓矢場女の如き者を拉して来る処で、市中繁華の街を離れて稍幽静なる地区には必温泉場なるものがあった。則深川仲町には某楼があり、駒込追分には草・・・ 永井荷風 「上野」
・・・樹木にも定った年齢があるらしく、明治の末から大正へかけて、市中の神社仏閣の境内にあった梅も、大抵枯れ尽したまま、若木を栽培する処はなかった。梅花を見て春の来たのを喜ぶ習慣は年と共に都会の人から失われていたのである。 わたくしが梅花を見て・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・或は市中公会等の席にて旧套の門閥流を通用せしめざるは無論なれども、家に帰れば老人の口碑も聞き細君の愚痴も喧しきがために、残夢まさに醒めんとしてまた間眠するの状なきにあらず。これ等の事情をもって考るに、今の成行きにて事変なければ格別なれども、・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・ 京都の学校は明治二年より基を開きしものにて、目今、中学校と名る者四所、小学校と名るもの六十四所あり。 市中を六十四区に分て学校の区分となせしは、かの西洋にていわゆるスクールヂストリックトならん。この一区に一所の小学校を設け、区内の・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・「なあに毒蛾なんか、市中到る処に居るんだ。町をあるいてさわられたら市長でも訴えたらよかろうさ。」 デストゥパーゴは、渋々、又椅子に坐って、「おい、早くあとをやってしまって呉れ。早く。」と云いました。そして、しきりに変な形になって・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・東京の市中では想像もつかない広い空、耕地、遠くの山脈。竹やぶの細い葉を一枚一枚キラキラ強い金色にひらめかせながら西の山かげに太陽が沈みかけると、軽い蛋白石色の東空に、白いほんのりした夕月がうかみ出す、本当に空にかかる軽舸のように。しめりかけ・・・ 宮本百合子 「田舎風なヒューモレスク」
・・・ もとの市中をぬけると、砲台のあったぐるりの山々までいかにも打ちひらいた眺望である。数哩へだたった山々はゆるやかな起伏をもってうっすりと、あったまった大気の中に連っているのであるが、昔山々と市街との間をつないでいた村落や田園は片影をとど・・・ 宮本百合子 「女靴の跡」
・・・もうどこをさして往って見ようと云う所もないので、只已むに勝る位の考で、神仏の加護を念じながら、日ごとに市中を徘徊していた。 そのうち大阪に咳逆が流行して、木賃宿も咳をする人だらけになった。三月の初に宇平と文吉とが感染して、熱を出して寝た・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
元文三年十一月二十三日の事である。大阪で、船乗り業桂屋太郎兵衛というものを、木津川口で三日間さらした上、斬罪に処すると、高札に書いて立てられた。市中至る所太郎兵衛のうわさばかりしている中に、それを最も痛切に感ぜなくてはならぬ太郎兵衛の・・・ 森鴎外 「最後の一句」
・・・だから市中に住んでいる人にこの景色を見せたいと思っても、見せるわけには行かなかった。 こういう雪景色と交錯して、二月の初め、立春の日の少し前あたりから、池の鯉が動きはじめ、小鳥がしきりに庭先へ来る。そういう季節が、紅葉と新緑とから最も距・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
出典:青空文庫