・・・その中で左に右く画家として門戸を張るだけの技倆がありながら画名を売るを欲しないで、終に一回の書画会をだも開かなかったというは市井町人の似而非風流の売名を屑しとしない椿岳の見識であろう。富有な旦那の冥利として他人の書画会のためには千円からの金・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・が、芸術となると二葉亭はこの国士的性格を離れ燕趙悲歌的傾向を忘れて、天下国家的構想には少しも興味を持たないでやはり市井情事のデリケートな心理の葛藤を題目としている。何十年来シベリヤの空を睨んで悶々鬱勃した磊塊を小説に托して洩らそうとはしない・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・たり、間口の広い油屋があったり、赤い暖簾の隙間から、裸の人が見える銭湯があったり、ちょうど大阪の高台の町である上町と、船場島ノ内である下町とをつなぐ坂であるだけに、寺町の回顧的な静けさと、ごみごみした市井の賑かさがごっちゃになったような趣き・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・や「市井事」や「銀座八丁」の逞しい描写を喜ぶ読者は、「弥生さん」には失望したであろう。私もそのような意味では失望した。しかし、読者の度胆を抜くような、そして抜く手も見せぬような巧みに凝られた書出しよりも、何の変哲もない、一見スラスラと書かれ・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
武田さんは大阪の出身という点で、私の先輩であるが、更に京都の第三高等学校出身という点でもまた私の先輩である。しかも、武田さんは庶民作家として市井事物一点張りに書いて来た。その点でも私は血縁を感じている。してみれば、文壇でも・・・ 織田作之助 「武田麟太郎追悼」
・・・している見事さは、市井事もの作家の武田麟太郎氏が私淑したのも無理はないと思われるくらいで、僕もまたこのような文学にふとしたノスタルジアを感ずるのだ。すくなくとも秋声の叫ばぬスタイル、誇張のない態度は、僕ら若い世代にとってかなわぬものの一つだ・・・ 織田作之助 「文学的饒舌」
彼は人気者になら誰とでも会いたがった。しかし、人気者は誰も彼に会おうとしなかった。いうまでもなく彼は一介の無名の市井人だった。 野坂参三なら既にして人気者であり、民主主義の本尊だから、誰とでも会うだろう。彼はわざわざ上・・・ 織田作之助 「民主主義」
・・・彼等は家庭に帰れば皆善良なる市井人であり、職場では猫の口が喋る如く民主主義を唱え、杓子の耳が聴く如くそれに耳を傾けている筈だが、しかし、人間を愛することを忘れて、いかなる民主主義者があろうか。 復員者に冷たく当りたがる人々の気持はむろん・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・彼らは自ら手を下さず、市井の頭目を語らって、群衆を煽動せしめたのであった。 日蓮は一時難を避けて、下総中山の帰衣者富木氏の邸にあって、法華経を説いていた。 六 相つぐ法難 日蓮の闘志はひるまなかった。百日の後彼は・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・彼等の恥なく義なく勇なきは、実に市井の一文士に如かざりき。彼軍人的教練なる者是に於て一毫の価値ある耶。 孔子曰く、自らなして直くんば千万人と雖も我往かんと。此意気精神、唯一文士ゾーラに見て堂々たる軍人に見ざるは何ぞや。 或は曰く、長・・・ 幸徳秋水 「ドレフュー大疑獄とエミール・ゾーラ」
出典:青空文庫