・・・そしてそんなものを押しわけて敷かれている蒲団。喬はそんななかで青鷺のように昼は寝ていた。眼が覚めては遠くに学校の鐘を聞いた。そして夜、人びとが寝静まった頃この窓へ来てそとを眺めるのだった。 深い霧のなかを影法師のように過ぎてゆく想念がだ・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・源叔父はこの様見るや、眠くば寝よと優しくいい、みずから床敷きて布団かけてやりなどす。紀州の寝し後、翁は一人炉の前に坐り、眼を閉じて動かず。炉の火燃えつきんとすれども柴くべず、五十年の永き年月を潮風にのみ晒せし顔には赤き焔の影おぼつかなく漂え・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・寝る時、蒲団が一畳ずつしかあたらなかった。私は親爺の分と合わして一つを敷き一つを着て、二人が一つになって寝た。私は、久しく親と一緒に寝たことがなかった。小さい時、八ツか九ツになるまで、親爺と寝ていたが、それ以後、別々になった。私は、小さい時・・・ 黒島伝治 「入営前後」
・・・起きて直ぐ、蒲団を片付け、毛布をたゝみ、歯を磨いて、顔を洗う。その頃に丁度「点検」が廻わってくる。一隊は三人で、先頭の看守がガチャン/\と扉を開けてゆくと、次の部長が独房の中を覗きこんで、点検簿と引き合せて、「六十三番」 と呼ぶ。・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・長いこと、蒲団や掻巻にくるまって曲んでいた彼の年老いた身体が、復た延び延びして来た。寝心地の好い時だ。手も、足も、だるかった。彼は臥床の上へ投出した足を更に投出したかった。土の中に籠っていた虫と同じように、彼の生命は復た眠から匍出した。・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・藤さんは章坊が蒲団へ落した餡を手の平へ拾う。影法師が壁に写っている。頭が動く。やがてそれがきちんと横向きに落ちつくと、自分は目口眉毛を心でつける。小母さんの臂がちょいちょい写る。簪で髪の中を掻いているのである。 裏では初やが米を搗く。・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・ 破れて綿のはみ出ている座蒲団を私はお二人にすすめて、「畳が汚うございますから、どうぞ、こんなものでも、おあてになって」 と言い、それから改めてお二人に御挨拶を申しました。「はじめてお目にかかります。主人がこれまで、たいへん・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・ この作は、『蒲団』などよりも以前に構想したものであるが、『生』を書いてしまい『妻』を書いてしまってもまだ筆をとる気になれない。材料がだんだん古く黴が生えていくような気がする。それに、新しい思潮が横溢して来たその時では、その作の基調がロ・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・そこに干してある蒲団からはぽかぽかと暖かい陽炎が立っているようであった。湿った庭の土からは、かすかに白い霧が立って、それがわずかな気紛れな風の戦ぎにあおられて小さな渦を巻いたりしていた。子供等は皆学校へ行っているし、他の家族もどこで何をして・・・ 寺田寅彦 「浅草紙」
・・・――起きて縄でもないてぇ、草履でもつくりてぇ、――そう思っても、孝行な息子達夫婦は無理矢理に、善ニョムさんを寝床に追い込み、自分達の蒲団までもってきて、着かせて、子供でもあやすように云った。「ナアとっさん、麦がとれたら山の湯につれてって・・・ 徳永直 「麦の芽」
出典:青空文庫