・・・とからあとからつっちェくるんだ」と看守が不満そうに抗議した。留置場は一杯になっていた。小林多喜二のところへ来た人たちで、少くとも女の室は満員となっていた。私は、それで「帰れ、仕様がない」と帰されたのであった。 一九三三年は前年に治安維持・・・ 宮本百合子 「今日の生命」
・・・たまに誰か来ると、特高は威脅的にその人にいろいろ訊いたし、私のように関係の知れ切っている者に対してさえ、今日こそ無事には帰さないぞという風の無言の脅迫をくりかえした。 私は、その事件については、全然何も知らず、すべてを新しい駭きと、人間・・・ 宮本百合子 「信義について」
・・・太平洋戦争がはじまるとともに検挙されて、翌年の七月末、熱射病で死ぬものとして巣鴨の拘置所から帰された。そのとき心臓と腎臓が破壊され視力も失い、言語も自由でなくなった。戦争の年々にそろそろ恢復したが、この三、四年来の繁忙な生活で去年の十二月、・・・ 宮本百合子 「孫悟空の雲」
・・・通夜の晩に小林宅を訪問して杉並署に連れてゆかれたが、その晩はもう小林の家から何人かの婦人が検束されて来ていて、入れる場所がないということで帰された。〔『大衆の友』号外〕小林多喜二特輯号を編輯した。十二月〔二十六〕日。宮本顕治は九段上・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・此間だも――と村校友達となぐり合を始めて相手に鼻血を出させたが、元はと云えばブランコの順番からで夜まで家へ帰されなかったと話して聞かせた。「御免なして下さりませ、ほんに物の分らん児だちゅうたら。「かまいやしないよ、子供の・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・ 靴屋の見習小僧にやられたゴーリキイが、火傷をして祖父の家に帰された。その時、九つばかりであった彼は、同じ建物の中に住んでいるリュドミラという年上の跛足の女の子と大仲よしになった。二人は湯殿の中へかくれて本を読み合った。リュドミラの母親・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイによって描かれた婦人」
・・・へ表口から帰された女子失業群が、溢れ出した裏口は、真直、街頭につづいているのである。 新聞には強盗、追剥、怖しい記事が日毎に報告されなければならなくなって来た。復員軍人がそれらの犯罪を犯すということについて輿論が高くなって、宮内次官は「・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・子供たちは門外へ一足も出されぬので、ふだん優しくしてくれた柄本の女房を見て、右左から取りすがって、たやすく放して帰さなかった。 阿部の屋敷へ討手の向う前晩になった。柄本又七郎はつくづく考えた。阿部一族は自分と親しい間柄である。それで後日・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・朝鮮征伐の時の俘虜の男女千三百四十余人も、江戸からの沙汰で、いっしょに舟に乗せて還された。 浜松の城ができて、当時三河守と名のった家康はそれにはいって、嫡子信康を自分のこれまでいた岡崎の城に住まわせた。そこで信康は岡崎二郎三郎と名の・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
・・・どっちも空手では還さぬ。お客さまがご窮屈でないように、お二人ずつ分けて進ぜる。賃銭はあとでつけた値段の割じゃ」こう言っておいて、大夫は客を顧みた。「さあ、お二人ずつあの舟へお乗りなされ。どれも西国への便船じゃ。舟足というものは、重過ぎては走・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫