・・・ 五日目から四日目に移るは俯せたる手を翻がえす間と思われ、四日目から三日目に進むは翻がえす手を故に還す間と見えて、三日、二日より愈戦の日を迎えたるときは、手さえ動かすひまなきに襲い来る如く感ぜられた。「飛ばせ」とシーワルドはウィリアムを・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・直ぐにって署長の命令だからね、済まないが、直ぐに来て貰いたいんだ。直ぐに帰すからね」 中村は、こう云うと、又煽ぎ立てた。「何しろ夜中じゃしようがないよ。子供を手離せないもんだからな。嬶が病院に行ってるから、一人は俺が見てやらなけ・・・ 葉山嘉樹 「生爪を剥ぐ」
・・・することにして、稚き子供の父たる家の主人が不行跡にて、内に妾を飼い外に花柳に戯るゝなどの乱暴にては、如何に子供を教訓せんとするも、婬猥不潔の手本を近く我が家の内に見聞するが故に、千言万語の教訓は水泡に帰す可きのみ。又男女席を同うせず云々とて・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・き、その書を読み、その風俗を視察するときは、事の内実はともかくも、その表面のみにても、これを日本の事態に比して大いに異なる所あるを発明し、大いに悟りて自ら新たにし、儒流洒落の不品行を脱却して紳士の正に帰すべきはずなるに、言行一切西洋流なるに・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・ 自分は全力を尽して、踏み誤った一歩を還すでしょう。然し、永劫に、誤った一歩は誤った一歩なのです。 かような、重大な、而して余りに人間的な行違いは何によって起り得るかといえば、自分は、一言「未全なる愛」といわずにはいられません。・・・ 宮本百合子 「偶感一語」
・・・お前が出したものは出したと云って、あやまりさえすればすぐ帰すって、警視庁の人が云っているんじゃないか!」 顔は熱いまんま、腹の底から顫えが起って来た。「そんなことを云いに来たの?」「そんな恐ろしい顔をして……マァ考えて御覧……」・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・というお座なりで帰す訳には行かない気がするのであった。 夜は段々と更けて来た。どこかで十時を打った。あたりは静かなので雨戸の外から聞えるその時計の音が、明るい室内のゆとりない空気を一層強く意識させた。その時まで暫く黙ってぼんやり考え・・・ 宮本百合子 「沈丁花」
・・・「帰す帰すって云ってとめておこうかしらん。」 こんな事さえ思った。 それでもまさかそんな事も出来ないから遠縁の親類へいつもの注文通り、 二十二三の少しは教育のあるみっともなくないのをたのんでやった。 も一方先に頼んだ・・・ 宮本百合子 「蛋白石」
・・・とうとう宇平と文吉とで勧めて、九郎右衛門を一旦姫路へ帰すことにした。九郎右衛門は渋りながら下関から舟に乗って、十二月十二日の朝播磨国室津に着いた。そしてその日のうちに姫路の城下平の町の稲田屋に這入った。本意を遂げるまでは、飽くまでも旅中の心・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・母がいつ来ても、同じような繰り言を聞かせて帰すのである。 厄難に会った初めには、女房はただ茫然と目をみはっていて、食事も子供のために、器械的に世話をするだけで、自分はほとんど何も食わずに、しきりに咽がかわくと言っては、湯を少しずつ飲んで・・・ 森鴎外 「最後の一句」
出典:青空文庫