・・・昔の絵描きは自然や人間の天然の姿を洞察することにおいて常人の水準以上に卓越することを理想としていたらしく見える。そうして得た洞察の成果を最も卑近な最も分りやすい方法によって表現したように思われる。然るにこの頃の多数の新進画家は、もう天然など・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・する以上は、自己の存在を確実にし、此処に個人があるということを他にも知らせねばならぬ位の了見は、常人と同じ様に持っていたかも知れぬ。けれども創作の方面で自己を発揮しようとは、創作をやる前迄も別段考えていなかった。 話が自分の経歴見たよう・・・ 夏目漱石 「処女作追懐談」
・・・ちょっと考えると、彼らは常人より判明した頭をもって、普通の者より根気強く、しっかり考えるのだから彼らの纏めたものに間違はないはずだと、こういうことになりますが、彼らは彼らの取扱う材料から一歩退いて佇立む癖がある。云い換えれば研究の対象をどこ・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・強いられるとは常人として無理をせずに自己本来の情愛だけでは堪えられない過重の分量を要求されるという意味であります。独り孝ばかりではない、忠でも貞でもまた同様の観があります。何しろ人間一生のうちで数えるほどしかない僅少の場合に道義の情火がパッ・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・ あらゆる監房からは、元気のいい声や、既に嗄れた声や、中にはまったく泣声でもって、常人が監獄以外では聞くことのできない感じを、声の爆弾として打ち放った。 これ等の声の雑踏の中に、赤煉瓦を越えて向うの側から、一つの演説が始められた。・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・とは言い得ざりしなり。常人をして言わしめば鮎くれしを主にして言うべし。そは平凡なり。よらで過ぎ行くところ、景を写し情を写し時を写し多少の雅趣を添う。 顔しかめたりとも額に皺よせたりともかく印象を明瞭ならしめじ、ことは同じけれど「眉あつめ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・大概覚悟はして居るけれど、それでも平和な時間が少し余計つづいた時に、ふと死ということを思い出すと、常人と同じように厭な心持になる。人間は実に現金なものであるということを今更に知ることが出来る。○去年の春であったか、非無という年の若い真宗・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・国文学者にとって必要な古文書、典籍などは、主として皇室の図書館や貴族の秘蔵にかかっており、常人にはそれを目で見ることさえ容易でない有様である。佐佐木信綱博士が万葉集の仕事を完成した時、些かでも専門の知識をもっている人々が歎賞した第一のことは・・・ 宮本百合子 「文学上の復古的提唱に対して」
・・・という理論は、常人にとって全く理解し難い。それを、「梶は日本の変化の凄まじさを今更美事だとまたここでも感服する」というのは、いかがしたことであろうか。「厨房日記」をよむと、この作者が外国でも日本でも、質のよくない情報者というか、消息通に・・・ 宮本百合子 「「迷いの末は」」
・・・この点においては彼は常人と区別がつかない。けれどもひとたび彼を楽器の前に据えれば彼はたちまち天才として諸君に迫って来る。しかし諸君の前に一人の黒人が現われたとする。一眼見れば直ちにその黒人である事がわかるだろう。デュウゼは黒人である。 ・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
出典:青空文庫