・・・常磐津のうまい若い子や、腕達者な年増芸者などが、そこに現われた。表二階にも誰か一組客があって、芸者たちの出入りする姿が、簾戸ごしに見られた。お絹もそこへ来て、万事の話がはずんでいた。 道太がやや疲労を感じたころには、静かなこの廓にも太鼓・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・つ手拭の冠り方、襟付の小袖、肩から滑り落ちそうなお召の半纏、お召の前掛、しどけなく引掛に結んだ昼夜帯、凡て現代の道徳家をしては覚えず眉を顰めしめ、警察官をしては坐に嫌疑の眼を鋭くさせるような国貞振りの年増盛りが、まめまめしく台所に働いている・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・娼妓じみないでどこにか品格もあり、吉里には二三歳の年増である。「だッて、あんまりうるさいんだもの」「今晩もかい。よく来るじゃアないか」と、小万は小声で言ッて眉を皺せた。「察しておくれよ」と、吉里は戦慄しながら火鉢の前に蹲踞んだ。・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・マドレエヌは年増としてはまだ若い方だ。察するに今度のような突飛な事をしたのは、今に四十になると思ったからではあるまいか。夫が不実をしたのなんのと云う気の毒な一条は全然虚構であるかも知れない。そうでないにしても、夫がそんな事をしているのは、疾・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・ 私がここへ来たばかりの時、その妙にきわだった服装の私服めいた男は、白粉やけのした年増女と、声高にこう喋っていた。「あんまり見ちゃいられねえから、手伝ってやるのよ。――あっちこっちから役人をひっぱり出して来ているんだから、まるきし何・・・ 宮本百合子 「電車の見えない電車通り」
・・・ 浮々した年増の声が、がやがや云う男の間に際立って響いた。丸髷のその女を先頭にフロック・コート、紋付袴の一団が現われた。真中に、つい先年首相であった老政治家が囲まれている。皆、酒気を帯び、上機嫌だ。主賓、いかにも程々に取巻かせて置くとい・・・ 宮本百合子 「百花園」
・・・ 立ったまま年増の女の云う声がした。「お待ち遠さま、今日はごたごたさ、鮪の買い出しが足りなくって騒ぎゃるし、源ちゃんは病院へ行くって出たまんまいつまで経ってもかえんないし……あああ」 ふっと、私は笑いたくなった。そして云った。・・・ 宮本百合子 「町の展望」
・・・まあ、年増の美人のようなものだね。こんな日にもぐらもちのようになって、内に引っ込んで、本を読んでいるのは、世界は広いが、先ず君位なものだろう。それでも机の上に俯さっていなかっただけを、僕は褒めて置くね。」 秀麿は真面目ではあるが、厭がり・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・杯盤の世話を焼いているのは、色の蒼い、髪の薄い、目が好く働いて、しかも不愛相な年増で、これが主人の女房らしい。座敷から人物まで、総て新開地の料理店で見るような光景を呈している。「なんにしろ、大勢行っていたのだが、本当に財産を拵えた人は、・・・ 森鴎外 「鼠坂」
・・・見れば、柳橋で私の唯一人識っている年増芸者であった。 この女には鼠頭魚と云う諢名がある。昔は随分美しかった人らしいが、今は痩せて、顔が少し尖ったように見える。諢名はそれに因って附けられたものである。もう余程前から、この土地で屈指の姉えさ・・・ 森鴎外 「余興」
出典:青空文庫