・・・毛繻子のくけ紐は白粉の上にくっきりと強い太い線を描いて居る。削った長い木の杖を斜について危げに其足駄を運んで行く。上部は荷物と爪折笠との為めに図抜けて大きいにも拘らず、足がすっとこけて居る。彼等の此の異様な姿がぞろぞろと続く時其なかにお石が・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・自然主義者はこれを永久の真理の如くにいいなして吾人生活の全面に渉って強いんとしつつある。自然主義者にして今少し手強く、また今少し根気よく猛進したなら、自ら覆るの未来を早めつつある事に気がつくだろう。人生の全局面を蔽う大輪廓を描いて、未来をそ・・・ 夏目漱石 「イズムの功過」
・・・その方がずっと派手で勇ましく、重吉を十倍も強い勇士に仕立てた。田舎小屋の舞台の上で重吉は縦横無尽に暴れ廻り、ただ一人で三十人もの支那兵を斬り殺した。どこでも見物は熱狂し、割れるように喝采した。そして舞台の支那兵たちに、蜜柑や南京豆の皮を投げ・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・そして坐りたくてならないのを強いて、ガタガタ震える足で突っ張った。眼が益々闇に馴れて来たので、蔽いからはみ出しているのが、むき出しの人間の下半身だと云うことが分ったんだ。そしてそれは六神丸の原料を控除した不用な部分なんだ! 私は、そこで・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ドンコほど夫婦愛が深く、また、父性愛の強いものはない。産卵期になるといつもアベックだが、卵を産んでしまうと、雌はどこかへ行ってしまう。あとを守るのは雄だ。卵のところを離れず、いつもヒレを動かしながら、水をきれいに交流させる。外敵が来ると、こ・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・兄さん自分から好んで、』 強い咳払いを一つ、態と三つまで続けて、其女の方の言葉を紛らそうとしたのは、其兄上らしい三十近い兵士さんでした。それで、其兵士の顔には、他の人への羞しい様な色が溢れて、妹さんを見据えてお居での眼は、何様に迷惑そう・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・ひっきょう、その本は、たがいに近づくべからざるの有様をもって、強いて相近づかんとし、たがいにその有様を誤解して、かえってますます遠隔敵視の禍を増すものというべし。 今世間の喋々を聞けば、一方の説にいわく、人民無智無法なるがゆえに政府これ・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・その天鵝絨は物を中に詰めてふくらませてあって、その上には目を傷めるような強い色の糸で十文字が縫ってある。アラバステル石の時計がある。壁に塗り込んだ煖炉の上に燭台が載せてある。 ピエエル・オオビュルナンはこんな光景を再び目の前に浮ばせてみ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・今のように強い欲望があるからは、この世の物事に魂を打入れて見る事も出来よう。これからさき生かして置いてくれるなら、己は決して他の人間を物の言えぬ着物のように、または土偶か何かのように扱いはせぬ。どんな詰まらぬ喜でも、どんな詰らぬ歎でも、己は・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・しかるをなお強いて「戯れに」と題せざるべからざるもの、その裏面には実に万斛の涕涙を湛うるを見るなり。吁この不遇の人、不遇の歌。 彼と春岳との関係と彼が生活の大体とは『春岳自記』の文に詳なり。その文に曰く橘曙覧の家にいたる詞・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
出典:青空文庫