・・・偶然とは云え、斯うした物に紛れ当るということは、余程呪われた者の運命に違いないという気が強くされて―― 彼は、子供等が庭へ出て居り、また丁度細君も使いに行ってて留守だったのを幸い、台所へ行って擂木で出来るだけその凹みを直し、妻に見つかっ・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・そうした村のなかでは、溪間からは高く一日日の当るこの平地の眺めほど心を休めるものはなかった。私にとってはその終日日に倦いた眺めが悲しいまでノスタルジックだった。Lotus-eater の住んでいるといういつも午後ばかりの国――それが私には想・・・ 梶井基次郎 「蒼穹」
・・・売もやめて考えた末、いよいよ明日の朝早く広島へ向けて立つに決めはしたものの餅屋の者にまるっきり黙ってゆく訳にゆかず、今宵こそ幸衛門にもお絹お常にも大略話して止めても止まらぬ覚悟を見せん、運悪く流れ弾に中るか病気にでもなるならば帰らぬ旅の見納・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・ナーニ必ず中るとばかりでも無いものだよ。今度の仏像は御首をしくじるなんと予感して大にショゲていても、何のあやまちも無く仕上って、かえって褒められたことなんぞもありました。そう気にすることも無いものサ。」と云いかけて、ちょっと考え、「・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・――それを丁度扇の要に当る所に一段と高い台があって、其処に看守が陣取り、皆を一眼に見下している。 俺だちの関係で入ったものは、運動の時まで独りにされる。ゴッホの有名な、皆が輪になって歩き廻わっている「囚人運動」は、泥棒か人殺連中の囚人運・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・おそらくどんな芸術家でも花の純粋を訳出することは不可能だと言って見せたロダンのような人もあるが、その言葉に籠る真実も思い当る。朝顔を秋草というは、いつの頃から誰の言い出したことかは知らないが、梅雨あけから秋風までも味わせて呉れるこんな花もめ・・・ 島崎藤村 「秋草」
・・・ ロシアの作者、ツルゲネフやトルストイにあらわれた虚無思想をもって最もよく人生観上の自然主義に当たるものと見る人もある。虚無思想の中心は、ツルゲネフの作が定義するところによれば、あらゆるものを信ぜず、あらゆる権威に抗争する点に存する。し・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・やがて片端から二三匹ずつ繰りだして、列を作って、小早に日の当る方へと泳いで行く。ちらちらと腹を返すのがある。水の底には、泥を被った水草の葉が、泥へ彫刻したようになっている。ややあって、ふと、鮒子の一隊が水の色とまぎれたと思うと、底の方を大き・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・ 四十歳近い頃の作品と思われるが、その頃に突きあたる絶壁は、作家をして呆然たらしめるものがあるようで、私のような下手な作家でさえ、少しは我が身に思い当るところもないではない。たしか、その頃のことと記憶しているが、井伏さんが銀座からの帰り・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・ある時彼の伯父に当る人で、工業技師をしているヤーコブ・アインシュタインに、代数学とは一体どんなものかと質問した事があった。その時に伯父さんが「代数というのは、あれは不精もののずるい計算術である。知らない答をXと名づけて、そしてそれを知ってい・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
出典:青空文庫