・・・まだ作業中のどの建物からもあらい呼吸づかいがきこえているが、三吉は橋の上を往復したり、鉄門のまえで、背の赤んぼと一緒に嫁や娘をまちかねている婆さんなぞにまじって、たっていたりする。手を背にくんで、鍵束の大きな木札をブラつかせながら、門の内側・・・ 徳永直 「白い道」
・・・吉原を通りぬけて鷲神社の境内に出ると、鳥居前の新道路は既に完成していて、平日は三輪行の電車や乗合自動車の往復する事をも、わたくしはその日初めて聞き知ったのである。 吉原の遊里は今年昭和甲戌の秋、公娼廃止の令の出づるを待たず、既に数年前、・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ マードック先生とは二十年前に分れたぎり顔を合せた事もなければ信書の往復をした事もない。全くの疎遠で今日まで打ち過ぎたのである。けれどもその当時は毎週五、六時間必ず先生の教場へ出て英語や歴史の授業を受けたばかりでなく、時々は私宅まで押し・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・温泉地からそれらの町へは、いずれも直通の道路があって、毎日定期の乗合馬車が往復していた。特にその繁華なU町へは、小さな軽便鉄道が布設されていた。私はしばしばその鉄道で、町へ出かけて行って買物をしたり、時にはまた、女のいる店で酒を飲んだりした・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・しかも一つ処を幾度も幾度もサロンデッキを逍遙する一等船客のように往復したらしい。 電燈がついた。そして稍々暗くなった。 一方が公園で、一方が南京町になっている単線電車通りの丁字路の処まで私は来た。若し、ここで私をひどく驚かした者が無・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・夫が繁忙なれば之に代りて手紙往復の必要あり、殊に其病気の時など医師に容体を報じて来診を乞い薬を求むるが如き、妻たる者の義務なり。然るを如何なる用事あるも文を通わす可らずとは、我輩は之を女子の教訓と認めず、天下の奇談として一笑に附し去るのみ。・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・呉博士と往復したのも、参考書類を読破しようという熱心から独逸語を独修したのも、此時だ。けれども其結果、どうも個人の力じゃ到底やり切れんと悟った。ヴントの実験室、ジェームスの実験室、其等が無ければ、何時迄経っても真の研究は覚束ないと思い出した・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・「僕は二時半の東海道線だが、尤も本所へも寄って行きたいのだが、本所はずれまで人力で往復しては日が暮れてしまうからネ。」「本所へ行くなら高架鉄道に乗ればよい。」「そうか。高架鉄道があるのだネ。そりゃ一番乗って見よう。君この油画はどうだ非常にま・・・ 正岡子規 「初夢」
・・・ 先生のお手伝をして、理科の標本室から教室を往復していた芳子さんは、こんな話が、友子さんと政子さんとの間に取換されたのは、ちっとも知りませんでした。 けれども、それを知らないと云う事が、芳子さんの毎日の行いにどんな関係を持つでし・・・ 宮本百合子 「いとこ同志」
・・・しかしそれに就いて倅と往復を重ねた所で、自分の満足するだけの解決が出来そうにもなく、倅の帰って来る時期も近づいているので、それまで待っても好いと思って、返信は別に宗教問題なんぞに立ち入らずに、只委細承知した、どうぞなるべく穏健な思想を養って・・・ 森鴎外 「かのように」
出典:青空文庫