・・・おれは余りのいじらしさに、慰めてやりたいと思うたから、そっと後手に抱き起そうとした。するとあの女はどうしたと思う? いきなりおれをはり倒したのじゃ。おれは目が眩らみながら、仰向けにそこへ倒れてしもうた。おれの肉身に宿らせ給う、諸仏諸菩薩諸明・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・ お民はそのまま、すらりと敷居へ、後手を弱腰に、引っかけの端をぎゅうと撫で、軽く衣紋を合わせながら、後姿の襟清く、振返って入ったあと、欄干の前なる障子を閉めた。「ここが開いていちゃ寒いでしょう。」「何だかぞくぞくするようね、悪い・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・と、大宅太郎光国の恋女房が、滝夜叉姫の山寨に捕えられて、小賊どもの手に松葉燻となる処――樹の枝へ釣上げられ、後手の肱を空に、反返る髪を倒に落して、ヒイヒイと咽んで泣く。やがて夫の光国が来合わせて助けるというのが、明晩、とあったが、翌晩もその・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・坂田は後手だったから、ここで手抜きされると、のっけから二手損になるのだ。攻撃の速度を急ぐ相懸り将棋の理論を一応完成していた東京棋師の代表である木村を向うにまわして、二手損を以て戦うのは、何としても無理であった。果してこの端の歩突きがたたって・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・男もそのあとから入って後手に障子をしめながら片ひざはもう畳について居た。がっかりした様な男の様子を見てお龍はひやっこい声で、「とうとうかえってきたのねえ、あんたは、家出をして又舞いもどった恋猫の様な風をしてサ」と云って一寸男をこづい・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
・・・千鶴子は気ぜわしかったと見え、帰り際後手のまましめた格子と門を一寸ばかりずつしめのこしたまま行ってしまった。その隙間を見ているうちにはる子は漠然と憂鬱を感じ、茶器の出ている自分の机に戻った。 数日後のこと、夜に入って千鶴子が訪ねて来た。・・・ 宮本百合子 「沈丁花」
・・・ その晩は、仕事のために半徹夜をして、あくる朝目がさめると、私は後手で半幅帯をしめながら二階を下り、「――どうした? 電車――」と茶の間に顔を出した。「ああ、やった」 身持ちの弟嫁が縫物から丸顔をあげてすぐ答えた。「・・・ 宮本百合子 「電車の見えない電車通り」
出典:青空文庫