・・・ほかの罪人たちよりは一段と高いところに坐らされながら、次郎兵衛は彼の自作の都々逸とも念仏ともつかぬ歌を、あわれなふしで口ずさんでいた。岩に囁く頬をあからめつつおれは強いのだよ岩は答えなかった 嘘の・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・そうして生きながら焼かれる人々の叫喚の声が念仏や題目の声に和してこの世の地獄を現わしつつある間に、山の手では烏瓜の花が薄暮の垣根に咲き揃っていつもの蛾の群はいつものように忙わしく蜜をせせっているのであった。 地震があれば壊れるような家を・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・そうして生きながら焼かれる人々の叫喚の声が念仏や題目の声に和してこの世の地獄を現わしつつある間に、山の手ではからすうりの花が薄暮の垣根に咲きそろっていつもの蛾の群れはいつものようにせわしく蜜をせせっているのであった。 地震があればこわれ・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
・・・こんな新聞記事をよむ暇があったら念仏でもするかエスキモー語の文法でも勉強した方がいい。 火鉢のそばに寝ていた猫が起きあがって一度垂直に伸び上がってぶるぶると身振いをする。それから前脚を一本ずつずっと前へ伸ばして頭を低く仰向いて大きな欠伸・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・例えば第三十九段で法然上人が人から念仏の時に睡気が出たときどうすればいいかと聞かれたとき「目のさめたらんほど念仏し給へ」と答えたとある。またいもがしらばかり食った盛親僧都の話でも自由風流の境に達した達人の逸話である。自由に達して始めて物の本・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・という説に対し、そんなばかな事はないと抗弁し「それならば念仏や題目を唱えても反響しないはずだのに、反響するではないか」などという議論があり、結局五行説か何かへ持って行って無理に故事つけているところがおもしろい。五行説は物理学の卵であると・・・ 寺田寅彦 「化け物の進化」
・・・お狐様は家の中まで荒れ込んで来はしまいか。お念仏を称えるもの、お札を頂くものさえあったが、母上は出入のもの一同に、振舞酒の用意をするようにと、こまこま云付けて居られた。 私は時々縁側に出て見たが、崖下には人一人も居ないように寂として居て・・・ 永井荷風 「狐」
・・・『歎異抄』に「念仏はまことに浄土に生るゝ種にてやはんべるらん、また地獄に堕つべき業にてやはんべるらん、総じてもて存知せざるなり」といえる尊き信念の面影をも窺うを得て、無限の新生命に接することができる。・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・弥五兵衛、市太夫、五太夫、七之丞の四人が指図して、障子襖を取り払った広間に家来を集めて、鉦太鼓を鳴らさせ、高声に念仏をさせて夜の明けるのを待った。これは老人や妻子を弔うためだとは言ったが、実は下人どもに臆病の念を起させぬ用心であった。・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・「うむ、もう念仏や。お母はおらんか。」「お母に何ぞ用があるのか?」「お前とこで世話になろうと思うているがの、一つ頼んでくれんかなア?」「お前、俺とこへ来たのか?」「うむ、医者めが、もたん云いさらしてさ。」「それで俺と・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫