・・・が、四時頃やっと床を出ると、いつもより念入りに化粧をした。それから芝居でも見に行くように、上着も下着もことごとく一番好い着物を着始めた。「おい、おい、何だってまたそんなにめかすんだい?」 その日は一日店へも行かず、妾宅にごろごろして・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・ と一際念入りに答えたのでありまする。言葉尻も終らぬ中、縄も釘もはらはらと振りかかった、小宮山はあッとばかり。 ちょいと皆様に申上げまするが、ここでどうぞ貴方がたがあッと仰有った時の、手附、顔色に体の工合をお考えなすって下さいまし。・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・肩がわりの念入りで、丸太棒で担ぎ出しますに。――丸太棒めら、丸太棒を押立てて、ごろうじませい、あすこにとぐろを巻いていますだ。あのさきへ矢羽根をつけると、掘立普請の斎が出るだね。へい、墓場の入口だ、地獄の門番……はて、飛んでもねえ、肉親のご・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・あの時は又念入りの御手紙ありがとう」「人間の変化は早いものなア。人の生涯も或階段へ踏みかけると、躊躇なく進行するから驚くよ。しかし其時々の現状を楽しんで進んで行くんだな。順当な進行を遂げる人は幸福だ」「進行を遂げるならよいけれど、児・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・紫檀の盆に九谷の茶器根来の菓子器、念入りの客なことは聞かなくとも解る。母も座におって茶を入れ直している。おとよは少し俯向きになって膝の上の手を見詰めている。平生顔の色など変える人ではないけれど、今日はさすがに包みかねて、顔に血の気が失せほと・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・お袋は念入りに肩を動かして、さも性根なしとののしるかの様子で女の方を見た。「何でも私に寄りかかっていさえすればいいと思って、だだッ子のように来てくれい、来てくれいと言ってよこすんです」「だッて、来てくれなきゃア仕方がないじゃアないか?」・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・やこしく入り組んだ男女関係のいきさつを判らせようとして、こまごまだらだらと喋っているという効果を出しているし、大阪弁も女専の国文科を卒業した生粋の大阪の娘を二人まで助手に雇って、書いたものだけに、実に念入りに大阪弁の特徴を生かそうとしている・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
一 ざまあ見ろ。 可哀相に到頭落ちぶれてしまったね。報いが来たんだよ。良い気味だ。 この寒空に縮の単衣をそれも念入りに二枚も着込んで、……二円貸してくれ。見れば、お前じゃないか。……声まで顫えて・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ もっとも、その当日、まるでお芝居に出るみたいに、生れてはじめて肌ぬぎになって背中にまでお白粉をつけるなど、念入りにお化粧したので、もう少しで約束の時間に遅れそうになり、大急ぎでかけつけたものだから、それを見合いはともかくそんな大袈裟な・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・と言って念入りに溜息まで吐いてみせた。「かまわない。大丈夫だ。」私は頑張った。「こんな学生を、僕は、前に本郷で見た事があるよ。秀才は、たいてい、こんな恰好をしているようだ。」「帽子が、てんで頭にはいらんじゃないか。」佐伯は、またして・・・ 太宰治 「乞食学生」
出典:青空文庫