・・・ 慎太郎は姉の言葉の中に、意地の悪い調子を感じた。が、ちょいと苦笑したぎり、何ともそれには答えなかった。「洋ちゃん。お前今夜夜伽をおしかえ?」 しばらく無言が続いた後、浅川の叔母は欠伸まじりに、こう洋一へ声をかけた。「ええ、・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・あまりに意地悪き二つの道に対する面当てである。一つの声は二つの道を踏み破ってさらに他の知らざる道に入れと言った。一種の夢想である。一つの声は一つの道を行くも、他の道を行くも、その到達点にして同一であらばかまわぬではないかと言った。短い一生の・・・ 有島武郎 「二つの道」
一 最近数年間の文壇及び思想界の動乱は、それにたずさわった多くの人々の心を、著るしく性急にした。意地の悪い言い方をすれば、今日新聞や雑誌の上でよく見受ける「近代的」という言葉の意味は、「性急なる」とい・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・ 一足退きつつ、「そんな、そんな意地の悪いことをするもんじゃありません、お前さん、何が、そう気に入らないんです。」 と屹といったが、腹立つ下に心弱く、「御坊さんに、おむすびなんか、差上げて、失礼だとおっしゃるの。 それで・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・ 奥底のないお増と意地曲りの嫂とは口を揃えてそう云ったに違いない。僕等二人はもとより心の底では嬉しいに相違ないけれど、この場合二人で山畑へゆくとなっては、人に顔を見られる様な気がして大いに極りが悪い。義理にも進んで行きたがる様な素振りは・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・貞――というのが、昔からのえら物で、そこの女将たる実権を握っていて、地方有志の宴会にでも出ると、井筒屋の女将お貞婆さんと言えば、なかなか幅が利く代り、家にいては、主人夫婦を呼び棄てにして、少しでもその意地の悪い心に落ちないことがあると、意張・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・世間並のお世辞上手な利口者なら町内の交際ぐらいは格別辛くも思わないはずだが、毎年の元旦に町名主の玄関で叩頭をして御慶を陳べるのを何よりも辛がっていた、負け嫌いの意地ッ張がこんな処に現われるので、心からの頭の低い如才ない人では決してなかった。・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・関東人は意地ということをしきりに申します。意地の悪い奴はつむじが曲っていると申しますが毬栗頭にてはすぐわかる。頭のつむじがここらにこう曲がっている奴はかならず意地が悪い。人が右へ行こうというと左といい、アアしようといえばコウしようというよう・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・それは、意地悪い風だったのです。伸びればますます強く荒く風はあたりました。 かえりみると、この木が、野原で大きくなった歴史は、まったく風との戦いであったといえるでありましょう。木はけっしてこのことを忘れません。ある年、台風の襲ったとき、・・・ 小川未明 「曠野」
・・・ひとつには、海老原の抱いている思想よりも彼の色目の方が本物らしいと、意地の悪い観察を下すことによって、けちくさい溜飲を下げたのである。私は海老原一人をマダムの前に残して「ダイス」を出ることで、議論の結末をつけることにした。「じゃ、ごゆっ・・・ 織田作之助 「世相」
出典:青空文庫