・・・高尾や愛宕の紅葉狩も、佯狂の彼には、どのくらいつらかった事であろう。島原や祇園の花見の宴も、苦肉の計に耽っている彼には、苦しかったのに相違ない。……「承れば、その頃京都では、大石かるくて張抜石などと申す唄も、流行りました由を聞き及びまし・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・山城の愛宕権現も勝軍地蔵を奉じたところで、それにつづいて太郎坊大天狗などという恐ろしい者で名高い。勝軍地蔵はいつでも武運を守り、福徳を授けて下さるという信仰の対的である。明智光秀も信長を殺す前には愛宕へ詣って、そして「時は今天が下知る五月か・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・原に真葛、川に加茂、山に比叡と愛宕と鞍馬、ことごとく昔のままの原と川と山である。昔のままの原と川と山の間にある、一条、二条、三条をつくして、九条に至っても十条に至っても、皆昔のままである。数えて百条に至り、生きて千年に至るとも京は依然として・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
出典:青空文庫