・・・ また、村で、感冒が流行した時分にも、貧乏人の子供は、足袋も穿かず、木枯しの吹く中を薄着をして、少しも寒がらずに元気よく遊んでいた姿を見るにつけて、「苛められる者は、強い!」と、いう言葉を思い出しました。 過去に於て、この言葉は、真・・・ 小川未明 「自分を鞭打つ感激より」
・・・ているし、おまけに上さんは美しいし、このまま行けば天下泰平吉新万歳であるが、さてどうも娑婆のことはそう一から十まで註文通りには填まらぬもので、この二三箇月前から主はブラブラ病いついて、最初は医者も流行感冒の重いくらいに見立てていたのが、近ご・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ 病勢がこんなになるまでの間、吉田はこれを人並みの流行性感冒のように思って、またしても「明朝はもう少しよくなっているかもしれない」と思ってはその期待に裏切られたり、今日こそは医者を頼もうかと思ってはむだに辛抱をしたり、いつまでもひどい息・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・そして流行感冒がはやっていた。兵営の上には、向うの飛行機が飛んでいた。街には到るところ、赤旗が流れていた。 そこでどうしたか。結局、こっちの条件が悪く、負けそうだったので、持って帰れぬ什器を焼いて退却した。赤旗が退路を遮った。で、戦争を・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・家内中が、流行性感冒にかかったことなど一大事の如く書いて、それが作家の本道だと信じて疑わないおまえの馬面がみっともない。 強いということ、自信のあるということ、それは何も作家たるものの重要な条件ではないのだ。 かつて私は、その作家の・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・頸がひょろひょろ長く、植物のような感じで、ひ弱く、感冒除けの黒いマスクをして、灰色の大きすぎるハンチングを耳が隠れてしまっているほど、まぶかに被り、流石にその顔は伏せて、「金を出せえ。」こんどは低く、呟くように、その興覚めの言葉を、いか・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・それから、また、机の引き出しを、くしゃくしゃかきまわす。感冒除けの黒いマスクを見つけた。そいつを、素早く、さっと顔にかけて、屹っと眉毛を挙げ、眼をぎょろっと光らせて、左右を見まわす。なんということもない。マスクをはずして、引き出しに収め、ぴ・・・ 太宰治 「懶惰の歌留多」
・・・御馳走を喰えば栄養になり、喰い過ぎれば腹下りを起こすくらいのことは知っていたが、この、医学者でも物理学者でも何でもない助手M君の感冒起因説は当時の自分の医学上の知識を超越していたのである。 しかし、その当時気のついていたことは、何かしら・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・またたとえばある日たずねて来た二人が自分たちの近ごろかかった病気の話をしているうちに、その一人が感冒で一週間ばかり休んで寝ていたが、実に「いい気持ち」であったと言って、二人で顔を見合わせて意味ありげに笑った。そのような事でさえ彼の血管へ一滴・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・その日自分は感冒で発熱して寝ていたが、その死骸をわざわざ見る気がしなかったから、ただそのままに裏の桃の木の根方に埋めさせた。目で見なかった代わりに、自分の想像のカンバスの上には、美しい青草の毛氈の上に安らかに長く手足を延ばして寝ている黄金色・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
出典:青空文庫