・・・まして、ゴーリキイのようにロシアの民衆の一人として全く生活的な発展をとげて来ている作家、しかもその作家的気質の主な傾向は感性的な作家である場合、当時の波瀾極りなきロシアの建設の現実、その気分、その亢奮から遠のいていたことは、作家としてゴーリ・・・ 宮本百合子 「長篇作家としてのマクシム・ゴーリキイ」
・・・そして、いわゆる文化面といっても朝鮮人民の言葉と思想感性のおのずから主張される文学よりも、歌や踊りへよりたやすい才能のはけくちを与えた。軍国主義時代の日本の文壇的な存在として成功するためにはよつんばいにでもなるといったと語りつたえられた張赫・・・ 宮本百合子 「手づくりながら」
・・・芸術のこととして、また純正な絵画の美を少女たちの感性に高め導いてゆくためにああいう絵が何かの価値をもっているかと云えば、それは決して積極的な意義はもっていないと思える。渡辺与平、竹久夢二などがその時代の日本の空気のもっていた女の解放へ目をむ・・・ 宮本百合子 「日本文化のために」
・・・が日本の心の窮極にあるというよりは、どこまでも感性にふれる形象をとおしてのみ芭蕉の象徴があったという点こそ、彼の芸術が中国にも印度にも無いものである所ではなかろうか。芭蕉には実に微妙複雑な象徴はあるが、抽象はない。少くとも彼の完成した後の芸・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
・・・ 婦人の文化上の創造能力の特質は直感的であり、感性的具体的で、その反面としては恒久性の短いこと、主観的であること、客観性や思意の力に欠けていることがこれまでのあらゆる場合に挙げられて来ているのである。そして、婦人というものはそういう風に・・・ 宮本百合子 「婦人の文化的な創造力」
・・・そこには、その時分まだ批判精神は理知的・論理的・意志的なものであり、芸術性は感情的・感性的なものであるというような昔風な知情意の区分が、統一された人間精神の発動の各面という理解にまで高められていなかったことも現れているのである。 プロレ・・・ 宮本百合子 「文学精神と批判精神」
・・・でなく、文学的業績が乏しいばかりでなく、大陸というものがその生活で示している巨大で複雑な主題の深さをリアルにつかんでいないことや、その主題が文学として命をもった表現を与えられるためには、作家そのものの感性が大陸生活史の質量を具えなければなら・・・ 宮本百合子 「文学の大陸的性格について」
・・・もっとも人によって、感性のタイプにちがいはあるだろうけれど。私にすればああいうところをもうすこし悠々とみせて欲しかった。 この切り抜きを習う場面と、鋏を使う面白さを覚えたばかりの子供が家へかえると何の切りぬき絵も持っていないところから、・・・ 宮本百合子 「「保姆」の印象」
・・・女が男に与えるさまざまの価値ある影響をも認めたが、彼は主としてそれを感性的な面に於て見た。知性の上でチェホフは女の「可愛い愚かさ」というものを一つのあきらめとして、何れかといえば固定的に認めていた。ツルゲーネフが西欧主義者として、いささか皮・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイによって描かれた婦人」
独断 芸術的効果の感得と云うものは、われわれがより個性を尊重するとき明瞭に独断的なものである。従って個性を異にするわれわれの感覚的享受もまた、各個の感性的直感の相違によりてなお一段と独断的なものである。それ故に文学上に於ける感覚・・・ 横光利一 「新感覚論」
出典:青空文庫