・・・「邪見な口のききようだねえ、阿魔だのコン畜生だの婆だのと、れっきとした内室をつかめえてお慮外だよ、兀ちょろ爺の蹙足爺め。と少し甘えて言う。男は年も三十一二、頭髪は漆のごとく真黒にて、いやらしく手を入れ油をつけなどしたるにはあらで、短・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・と、決然として身を少く開く時、主人の背後の古襖左右へ急に引除けられて、「慮外御免。」と胴太き声の、蒼く黄色く肥ったる大きなる立派な顔の持主を先に、どやどやと人々入来りて木沢を取巻くように坐る。臙脂屋早く身退りし、丹下は其人を仰ぎ・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・成って、それも、三十にちかき荷物のうち、もっとも安直の、ものの数ならぬ小さい小さいバスケット一箇だけ、きらきら光る真鍮の、南京錠ぴちっとあけて、さて皆様の目のまえに飛び出したものは、おや、おや、これは慮外、百千の思念の小蟹、あるじあわてふた・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・り以来、当国船岡山の西麓に形ばかりなる草庵を営み罷在候えども、先主人松向寺殿御逝去遊ばされて後、肥後国八代の城下を引払いたる興津の一家は、同国隈本の城下に在住候えば、この遺書御目に触れ候わば、はなはだ慮外の至に候えども、幸便を以て同家へ御送・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
出典:青空文庫