・・・大川の水の色、大川の水のひびきは、我が愛する「東京」の色であり、声でなければならない。自分は大川あるがゆえに、「東京」を愛し、「東京」あるがゆえに、生活を愛するのである。 その後「一の橋の渡し」の絶えたことをきいた。「御蔵橋の渡・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・彼がやや赤面しながらそこらに散らばっている白紙と鉛筆とを取り上げるのを見た父は、またしても理材にかけての我が子の無能さをさらけ出したのを悔いて見えた。けれども息子の無能な点は父にもあったのだ。父は永年国家とか会社銀行とかの理財事務にたずさわ・・・ 有島武郎 「親子」
・・・夏には夏の我れを待て。春には春の我れを待て。夏には隼を腕に据えよ。春には花に口を触れよ。春なり今は。春なり我れは。春なり我れは。春なり今は。我がめぐわしき少女。春なる、ああ、この我れぞ春なる。・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・我みずから我が王たらんとし、我がいっさいの能力を我みずから使用せんとする慾望である。人によりて強弱あり、大小はあるが、この慾望の最も熾んな者はすなわち天才である。天才とは畢竟創造力の意にほかならぬ。世界の歴史はようするに、この自主創造の猛烈・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・ 人の妻と、かかる術して忍び合うには、疾く我がためには、神なく、物なく、父なく、母なく、兄弟なく、名誉なく、生命のないことを悟っていたけれども、ただ世に里見夫人のあるを知って、神仏より、父より、母より、兄弟より、名誉より、生命よりは便に・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ 伝え聞く、摩耶山とうりてんのうじ夫人堂の御像は、その昔梁の武帝、女人の産に悩む者あるを憐み、仏母摩耶夫人の影像を造りて大功徳を修しけるを、空海上人入唐の時、我が朝に斎き帰りしものとよ。 知ることの浅く、尋ぬること怠るか、はたそれ詣・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・そのくせ書にかけては恐らく我が文壇の人では第一の達人だったろう。 修善寺時代以後の夏目さんは余り往訪外出はされなかったようである。その当時、私の家に来られたことがあるが、「一カ月ぶりで他家を訪ねた」と言われた。その頃は多分痔を療治してい・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・僅かに『神稲水滸伝』がこれより以上の年月を費やしてこれより以上の巻を重ねているが、最初の構案者たる定岡の筆に成るは僅かに二篇十冊だけであって爾余は我が小説史上余り認められない作家の続貂狗尾である。もっともアレだけの巻数を重ねたのはやはり相当・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・「我がために人汝等を詬※。路加伝に依る山上の垂訓。六章二十節以下二十六節まで、馬太伝のそれよりも更らに簡潔にして一層来世的である。隠れたるものにして顕われざるは無しとの強き教訓。十二章二節より五節まで、明白に来世的である。・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・と、お母さまは、よくお姉さんを思い出したといわぬばかりに、我が子の顔を見て、にっこりと笑われました。 小川未明 「青い花の香り」
出典:青空文庫