・・・ 近在の人らしい両親に連れられた十歳くらいの水兵服の女の子が車に酔うて何度ももどしたりして苦しそうであるが、苦しいともいわずに大人しく我慢しているのが可哀相であった。白骨温泉へ行くのだそうで沢渡で下りた。子供も助かったであろうが自分もほ・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・ 我慢づよい兄の口からそう言われると、道太は自分の怠慢が心に責められて、そう遠いところでもないのに、なぜもっと精を出して毎日足を運ばないのかと、みずから慚じるのであった。それにもかかわらず、少し勉強しすぎた道太は、この月こそ、旅で頭脳の・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・泣きだしたくなるのを我慢して。「すむもすまんもありゃしないよ。こんにゃくなんか要らないんだから、さっさとおかえり……」 私は着物についた泥土をはらって、もう一度お辞儀した。すると、そのとき奥さんや女中さんのうしろで、並んでみていた子・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・ 喜助は、唐辛でえぶせば、奴さん、我慢が出来ずにこんこん云いながら出て来る。出て来た処を取ッちめるがいいと云う。田崎は万一逃げられると残念だから、穴の口元へ罠か其れでなくば火薬を仕掛けろ。ところが、鳶の清五郎が、組んで居た腕を解いて、傾・・・ 永井荷風 「狐」
・・・積極的活力の発現の方から見てもこの波動は同じことで、早い話が今までは敷島か何か吹かして我慢しておったのに、隣りの男が旨そうに埃及煙草を喫んでいるとやっぱりそっちが喫みたくなる。また喫んで見ればその方が旨いに違ない。しまいには敷島などを吹かす・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・もうちょっとだ。我慢しろ!」 秋山は動かなかった。 咄嗟に小林は、秋山を引っ担いだ。 然し、一人でさえも登り難い道を、一人を負って駈ける事は、出来ない相談だった。 彼等が、川上の捲上小屋へ着く前に、第一発が鳴った。「ハム・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・どうか、平田のためだと思ッて、我慢して、ねえ吉里さん、どうか頼むよ」「しかたがありませんよ、ねえ兄さん」と、吉里はついに諦めたかのごとく言い放しながらなお考えている。「私もこんな苦しい思いをしたことはない」「こういうはかない縁な・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・すなわち俗にいう瘠我慢なれども、強弱相対していやしくも弱者の地位を保つものは、単にこの瘠我慢に依らざるはなし。啻に戦争の勝敗のみに限らず、平生の国交際においても瘠我慢の一義は決してこれを忘るべからず。欧州にて和蘭、白耳義のごとき小国が、仏独・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・そのうちそろそろ我慢がし切れなくなった。余り人を馬鹿にしているじゃないか。オオビュルナンはどこかにベルがありそうなものだと、壁を見廻した。 この時下女が客間に来た。頬っぺたが前に見た時より赤くなっていて、表情が前に見た時より馬鹿らしく見・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・屁ひり虫は秋の季になってるから、屁をひって尻をすぼめず屁ひり虫か そいつは余りつまらないじゃないか、つまらないたッて困ったナ それじャこれではどうだ 屁をひってすぼめぬ穴の芒かなサ、少し善ければそれで我慢して置いて安楽に往生するサ 迷わずに・・・ 正岡子規 「墓」
出典:青空文庫