・・・そっちにいるお前はおかしく思うだろうが、残された人達が「戦旗」の配布網を守って、飽く迄も活動していた。然し、とう/\持って行き処のなくなったその人達は最後に、重要書類と一緒に家へ持ってきた。もうやられているので、二度も「ガサ」が無いだろうと・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・一九三〇年の暮から一九三二年いっぱいに書かれたソヴェト紹介の文章は、『女人芸術』『戦旗』『ナップ』をはじめとして『毎日新聞』『改造』そのほか記憶することが困難なほどの数にのぼった。 その数多いソヴェトに関する執筆のうち、単行本としてまと・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第九巻)」
・・・『戦旗』が一九二九年ごろ、片岡鉄兵の「アジ太・プロ吉世界漫遊記」をのせて大好評であった。一九三一年に「ナップ」は、数人の作家に課題小説をわりあてた。農民小説は誰、労働者小説は誰、という風に。そして、作者はソヴェト同盟の生活をどっさり紹介・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・ 次の年の寒い時分、大阪に『戦旗』の講演会があって徳永直、武田麟太郎、黒島伝治、窪川稲子その他の人々が東京駅から夜汽車で立った。私は次の日出かけることになっていてステーションまで皆を送りに行ったら、丁度前の日保釈で出たばかりの小林多喜二・・・ 宮本百合子 「窪川稲子のこと」
・・・『戦旗』とプロレタリア文化連盟関係の出版物編輯発行のために献身的な努力をした。共産党員。一九三二年の文化団体に対する弾圧当時、駒込署に検挙され、拷問のビンタのために中耳炎を起し危篤におちいった。のち、地下活動中過労のため結核になって中野療養・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・昔のプロレタリア文学運動の時代は、日本のすべての解放運動が非合法におかれていたために、たとえば『戦旗』は階級的な文化の文学雑誌であるとともに、その半面では労働者階級の経済、政治の国際的な啓蒙誌でもあった。『ナップ』『プロレタリア文学』もそれ・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・また「『戦旗』創刊と対立するもの」として、『近代生活』『文芸都市』が、「非左翼的同人雑誌のうちの最も有力な作家を集めてつくった集団」を目ざして、創刊されているのでもないということである。特集ルポルタージュ「鋳物の街・川口の表情」「地の平和の・・・ 宮本百合子 「しかし昔にはかえらない」
・・・ 困ったことがあったら、われわれの雑誌『婦人戦旗』に相談をもちこめ。『婦人戦旗』は、われわれにホントにプロレタリアの女として、世の中をどう見て、どう暮してゆくかを教える、たった一つのホンモノの雑誌です。〔一九三一年八月〕・・・ 宮本百合子 「「市の無料産院」と「身の上相談」」
・・・壺井栄さんは、『戦旗』の発行や発送のためには大きい見えない力として扶けた人だった。良人や息子を獄中に送った女の人々のよい相談あいてであるばかりでなく励ましてであった。子供のうちから体で働いて生きながら、そのような人生の中に美しいもの、愛くる・・・ 宮本百合子 「壺井栄作品集『暦』解説」
・・・『働く婦人』が創刊された時、第一号のトップに満州事変に抗議する記事を書いたのは、わたしでした。『戦旗』がどんなに田中内閣の侵略的意図を批判していたでしょう。しかしグルーは、日本人の中にそういう熱い思いが生きており、弾圧されていることを知りま・・・ 宮本百合子 「討論に即しての感想」
出典:青空文庫