・・・私は、高等学校へはいってからは、休暇になっても田舎へ帰らず、たいてい東京の戸塚の、兄の家へ遊びに行って、そうして兄と一緒に東京のまちを歩きまわりました。兄は、ずいぶん嘘をつきました。銀座を歩きながら、「あッ、菊池寛だ。」と小さく叫んで、・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・私はたいてい全部を失い、身一つでのがれ去り、あらたにまた別の土地で、少しずつ身のまわりの品を都合するというような有様であった。戸塚。本所。鎌倉の病室。五反田。同朋町。和泉町。柏木。新富町。八丁堀。白金三光町。この白金三光町の大きな空家の、離・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・ 戸塚。──私は、はじめ、ここにいたのだ。私のすぐ上の兄が、この地に、ひとりで一軒の家を借りて、彫刻を勉強していたのである。私は昭和五年に弘前の高等学校を卒業し、東京帝大の仏蘭西文科に入学した。仏蘭西語を一字も解し得なかったけれども、そ・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・ 稲子さんは一九三二年の夏は大森の実家が長崎へ引上げた後の家に生れたばかりの達枝と健造、七十を越したおばあさんを引つれて住み、秋、戸塚の方へ引越して来たのであった。大森の家へ行ったにしろ、それは実家の父親が発狂して職についていられなくな・・・ 宮本百合子 「窪川稲子のこと」
・・・どこに住んでよいかよく分らないけれど早稲田南町辺はどうかしらなど考えて居ります。戸塚へも近いし。市外はおやめです。夜などの出入りに淋しくて困るから。 この手紙はいろいろ盛り合わせになりました。 お体の様子は又くわしくお知らせ下さい。・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・の中を林町へ行く前、グレタ・ガルボがクリスチナ女王という写真をとり、大変立派だという評判はもうずっときいていたが、机にかじりついていて、もう昭和館とかでいねちゃんが見たときいたので、私はバカネ、それが戸塚にあるキネマだと思って高田の馬場で降・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・◎バスにのって戸塚の方へ出たら雨がザーザーふっている。バスの前方のガラスを流れている。 降りる頃には またやんでしまっていた。◎芝居のかえり。初日で十二時になるアンキーとかいう喫茶。バーの女給。よたもん。茶色の柔い皮・・・ 宮本百合子 「情景(秋)」
出典:青空文庫