・・・私は今まであなたに秘密にしていたけれど、小説家の戸田さんに、こっそり手紙を出していたのよ。そうしてとうとう一度お目にかかって大恥かいてしまいました。つまらない。 はじめから、ぜんぶお話申しましょう。九月のはじめ、私は戸田さんへ、こんな手・・・ 太宰治 「恥」
・・・絶間なき秩父おろしに草も木も一方に傾き倒れている戸田橋の両岸の如きは、放水路の風景の中その最荒凉たるものであろう。 戸田橋から水流に従って北方の堤を行くと、一、二里にして新荒川橋に達する。堤の下の河原に朱塗の寺院が欝然たる松林の間に、青・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・しかしこの堂宇は改築されて今では風致に乏しいものとなり、崖の周囲に茂っていた老樹もなくなり、岡の上に立っていた戸田茂睡の古碑も震災に砕かれたまま取除けられてしまったので、今日では今戸橋からこの岡を仰いで、「切凧の夕越え行くや待乳山」の句を思・・・ 永井荷風 「水のながれ」
・・・工汽車の中┌母 登代│義妹 直三の妻つや より└ 子供 昭夫 三歳 治郎 二歳┌ 前の家 沢田 かじや└ の町の風景┌姫路 戸田屋の二階│ 播州平野の馬車・・・ 宮本百合子 「「播州平野」創作メモ」
・・・一九四九年度に作品を示した戸田房子「波のなか」、畔柳二美「夫婦とは」、『四国文学』に「海軍病院の窓」をかいた正木喜代子。広津桃子「窓」、関村つる子「別離」。環境的な重荷をもって出発してる由起しげ子、波瀾のうちに、どのような発展をすすめて行く・・・ 宮本百合子 「婦人作家」
・・・出席した同級の幾人かは、どちらかというと多喜子のように友達に会いたい方が主で、こっそりこちらのテーブルの端で、「私戸田先生イタリー語がお出来んなるなんてちっとも知らなかったわ」「日本語を教えにいらっしゃるんだって。だからイタリー語は・・・ 宮本百合子 「二人いるとき」
・・・それは山中の妻の親戚に、戸田淡路守氏之の家来有竹某と云うものがあって、その有竹のよめの姉を世話したのである。 なぜ妹が先によめに往って、姉が残っていたかと云うと、それは姉が邸奉公をしていたからである。素二人の女は安房国朝夷郡真門村で由緒・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
出典:青空文庫