・・・ 津々浦々到る処、同じ漁師の世渡りしながら、南は暖に、北は寒く、一条路にも蔭日向で、房州も西向の、館山北条とは事かわり、その裏側なる前原、鴨川、古川、白子、忽戸など、就中、船幽霊の千倉が沖、江見和田などの海岸は、風に向いたる白帆の外には・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・ これと似た談が房州にもある、何でも白浜の近方だったが、農夫以前の話とおなじような事がはじまった、家が、丁度、谷間のようなところにあるので、その両方の山の上に、猟夫を頼んで見張をしたが、何も見えないが、奇妙に夜に入るとただ猟夫がつれてい・・・ 泉鏡花 「一寸怪」
・・・おや、房州で生れたかと思うほど、玉野は思ったより巧に棹をさす。大池は静である。舷の朱欄干に、指を組んで、頬杖ついた、紫玉の胡粉のような肱の下に、萌黄に藍を交えた鳥の翼の揺るるのが、そこにばかり美しい波の立つ風情に見えつつ、船はするすると滑っ・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・と思いつづけて来てハタとお徳の今日昼間の皮肉を回想して「水の世話にさえならなきゃ如彼奴に口なんか利かしや仕ないんだけど、房州の田舎者奴が、可愛がって頂だきゃ可い気になりゃアがってどうだろうあの図々しい案梅は」とお徳の先刻の言葉を思い出し、「・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・彼は外房州の「日本で最も早く、最も旺んなる太平洋の日の出」を見つつ育ち、清澄山の山頂で、同じ日の出に向かって、彼の立宗開宣の題目「南無妙法蓮華経」を初めて唱えたのであった。彼は「われ日本の柱とならん」といった。「名のめでたきは日本第一なり、・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・春になったら房州南方に移住して、漁師の生活など見ながら保養するのも一得ではないかと思います。いずれは仕事に区切りがついたら萱野君といっしょに訪ねたいと思います。しばらく会わないので萱野君の様子はわからない。きょう、只今徹夜にて仕事中、後略の・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・暗い町である。房州あたりの漁師まちの感じである。「お客が多いのかね。」「いいえ、もう駄目です。九月すぎると、さっぱりいけません。」「君は、東京のひとかね。」「へへ。」白髪の四角な顔した番頭は、薄笑いした。「福田旅館は、こ・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・ あぶない話ですものねえ。房州の漁師の娘ですって。私は、せがれの画がしくじっても、この娘さんをしくじらせたくないと思いました。私だって、知っていますよ。あの娘さんじゃ、画になりません。でも、せがれには、またこの次という事もあります。画かきだ・・・ 太宰治 「リイズ」
・・・ 大正の初年頃外房州の海岸へ家族づれで海水浴に出かけたら七月中雨ばかり降って海にはいるような日がほとんどなく、子供の一人が腸を悪くして熱を出したりした。宿の主人は潜水業者であったが、ある日潜水から上がると身体中が痺れて動けなくなったので・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・ こんな事を考えていたのであるが、今年の夏房州の千倉へ行って、海岸の強い輻射のエネルギーに充たされた空間の中を縫うて来る涼風に接したときに、暑さと涼しさとは互いに排他的な感覚ではなくて共存的な感覚であることに始めて気が付いたのである。暑・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
出典:青空文庫