・・・だんだん上に昇ったつもりで、得意満面、扇子をさっとひらいて悠々涼を納めながらも、だんだん下に落ちて行く。五段落して、それから、さっと三段あげる。人みな同じ、五段おとされたこと忘れ果て、三段の進級、おめでとう、おめでとうと言い交して、だらしな・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・ そうして竜の小さな肩を扇子でポンと叩いた。夕闇のなかでその扇子が恐ろしいほど白っぽかった。竜は頬のあからむほど嬉しくなった。兄に肩をたたいて貰ったのが有難かったのだ。いつもせめて、これぐらいにでも打ち解けて呉れるといいが、と果敢なくも・・・ 太宰治 「葉」
・・・ 作家たるもの、またこの現象を黙視し得ず、作品は二の次、もっぱらおのれの書簡集作成にいそがしく、十年来の親友に送る書簡にも、袴をつけ扇子を持って、一字一句、活字になったときの字づらの効果を考慮し、他人が覘いて読んでも判るよう文章にいちい・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・道太は手廻りの小物のはいっているバスケットを辰之助にもってもらい、自分は革の袋を提げて、扇子を使いながら歩いていた。山では病室の次ぎの間に、彼は五日ばかりいた。道太の姉や従姉妹や姪や、そんな人たちが、次ぎ次ぎににK市から来て、山へ登ってきて・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ 三吉がポスターをかいている板の間へ、高坂が、扇子をパチッ、パチッと鳴らせながらでてきた。むかし細川藩の国家老とか何とかいう家柄をじまんにして、高い背に黄麻の単衣をきちんときている。椅子をひきずってきて腰かけながら、まだいっていたが、・・・ 徳永直 「白い道」
・・・縁日の人出が三人四人と次第にその周囲に集ると、爺さんは煙管を啣えて路傍に蹲踞んでいた腰を起し、カンテラに火をつけ、集る人々の顔をずいと見廻しながら、扇子をパチリパチリと音させて、二、三度つづけ様に鼻から吸い込む啖唾を音高く地面へ吐く。すると・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・ M署の高等係中村は、もう、蚊帳の外に腰を下して、扇子をバタバタ初めていた。「今時分、何の用事だい? 泥棒じゃあるめえし、夜中に踏み込まなくたって、逃げも隠れもしやしねえよ」 吉田は、そう考えることによって、何かのいい方法を・・・ 葉山嘉樹 「生爪を剥ぐ」
出典:青空文庫