・・・ 土用近い暑さのところへ汁を三杯も啜ったので、私は全身汗が走り、寝ぼけたような回転を続けている扇風機の風にあたって、むかし千日前の常磐座の舞台で、写真の合間に猛烈な響を立てて回転した二十吋もある大扇風機や、銭湯の天井に仕掛けたぶるんぶる・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・、私はあわてて扉の外へ出ると、その隣の赤い灯が映っている硝子扉を押した途端、白地に黒いカルタの模様のついた薩摩上布に銀鼠色の無地の帯を緊め、濡れたような髪の毛を肩まで垂らして、酒にほてった胸をひろげて扇風機に立っていた女が、いらっしゃいとも・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ もう食堂のしたくはすっかり出来て、扇風機はぶうぶうまわり、白いテーブル掛けは波をたてます。テーブルの上には、緑や黒の植木の鉢が立派にならび、極上等のパンやバターももう置かれました。台所の方からは、いい匂がぷんぷんします。みんなは、蚕種・・・ 宮沢賢治 「紫紺染について」
・・・役所では窓に黄いろな日覆もできましたし隣りの所長の室には電気会社から寄贈になった直径七デシもある大きな扇風機も据えつけられました。あまり暑い日の午後などは所長が自分で立って間の扉をあけて、「さあ諸君、少し風にあたりたまえ。」なんて云った・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・の、そのことと弟の内生活の相剋だのの点には、余りふれられていなかったが、愛する息子を喪ったもう若くない父親が、八月の蒸し暑い雨の夜、その雨のしずくに汗と涙を交えて頬に流しつつ、湿ってとかく停ってしまう扇風機をもって土蔵の半地下室に向う低い窓・・・ 宮本百合子 「父の手紙」
・・・と小声の叫びをあげて、前方の棚の上に廻転している扇風機を指差した。「零点五だッ。」 閃めくような栖方の答えは、勿論、このとき梶には分らなかった。しかし、梶は、訊き返すことはしなかった。その瞬間の栖方の動作は、たしかに何かに驚きを感じ・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫