・・・重く引つけ置く、三代相伝の火縄銃、のッそりと取上げて、フッと吹くと、ぱッと立つ、障子のほこりが目に入って、涙は出ても、狙は違えず、真黒な羽をばさりと落して、奴、おさえろ、と見向もせず、また南無阿弥陀で手内職。 晩のお菜に、煮たわ、喰った・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・故郷の市場の雑貨店で、これを扱うものがあって、私の祖父――地方の狂言師が食うにこまって、手内職にすいた出来上がりのこの網を、使で持って行ったのを思い出して――もう国に帰ろうか――また涙が出る。とその涙が甘いのです。餅か、団子か、お雪さんが待・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ひとりお母さんが、手内職をして、母子は、その日、その日、貧しい生活をつづけていました。 彼は、学校から帰ると、今日のお話をお母さんにしたのでした。その日あったことは、なんでも帰ってからお母さんに話すのが常でありました。これをきくと、お母・・・ 小川未明 「笑わなかった少年」
・・・どうするかと見ていると、お千鶴は家で手内職、お前はもと通り俥をひいて出て、まるで新派劇の舞台が廻ったみたいだった。 当時、安堂寺橋に巡航船の乗場があり、日本橋まで乗せて二銭五厘で客を呼んでいたが、お前はその乗場に頑張って、巡航船へ乗る客・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・家と屋敷ばかり広うても貧乏士族で実は喰うにも困る中を母が手内職で、子供心にはなんの苦労もなく日を送っていたのでございます。 母も心細いので山家の里に時々帰えるのが何よりの楽しみ、朝早く起きて、淋しい士族屋敷の杉垣ばかり並んだ中をとぼとぼ・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・いい若いもんが手内職みたいな仕事をしているということもあった。しかし、それがどうして悪いのだろう? 何でこんなにはずかしいのだろう? そしてやっぱり、若い女が前の道を通ると、三吉はいち早く気がついて、家のなかにとびこんだ。「でもまァ、こ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・よく婦人雑誌の実話などのなかに、たとえば手内職から今日の富豪となる迄の努力生活の女主人公として女のひとの立志伝がのったりしますが、そういうひとの生涯でも、或る意味ではやはりえらいと云えるでしょう。普通の人間の忍べないと思うような辛苦をよく耐・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人の命の焔」
出典:青空文庫