・・・九時半に打出し、車でかえる師匠を見送り、表通へ出た時には、あたりはもう真白で、人ッ子ひとり通りはしない。 太鼓を叩く前座の坊主とは帰り道がちがうので、わたくしは毎夜下座の三味線をひく十六、七の娘――名は忘れてしまったが、立花家橘之助の弟・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・と、善吉は話すうちにたえず涙を拭いて、打ち出した心には何の見得もないらしかッた。 吉里は平田と善吉のことが、別々に考えられたり、混和ッて考えられたりする。もう平田に会えないと考えると心細さはひとしおである。平田がよんどころない事情とは言・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ただこの評価は思想を同じゅうして居ないものの評価で、天晴批評と称して打出して言挙すべきものでないばかりだ。しかし筆の走りついでだから、もう一度主筆に追願をして、少しくこの門外漢の評価の一端を暴露しようか。明治の聖代になってから以還、分明に前・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
出典:青空文庫