・・・それらの誤解はいずれも江口の為に、払い去られなければならない。江口は快男児だとすれば、憂欝な快男児だ。粗笨漢だとすれば、余りに教養のある粗笨漢だ。僕は「新潮」の「人の印象」をこんなに長く書いた事はない。それが書く気になったのは、江口や江口の・・・ 芥川竜之介 「江口渙氏の事」
・・・ けれども半之丞は靴屋の払いに不自由したばかりではありません。それから一月とたたないうちに今度はせっかくの腕時計や背広までも売るようになって来ました。ではその金はどうしたかと言えば、前後の分別も何もなしにお松につぎこんでしまったのです。・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・ それで私は少し安心して、若者の肩に手をかけて何かいおうとすると、若者はうるさそうに私の手を払いのけて、水の寄せたり引いたりする所に坐りこんだまま、いやな顔をして胸のあたりを撫でまわしています。私は何んだか言葉をかけるのさえためらわれて・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・彼れは鍬を動かしながら眉をしかめてそれを払い落そうと試みた。しかしいくら試みても光った銀貨が落ちないのを知ると白痴のようににったりと独笑いを漏していた。 昆布岳の一角には夕方になるとまた一叢の雲が湧いて、それを目がけて日が沈んで行った。・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・と慌しく這身で追掛けて平手で横ざまにポンと払くと、ころりとかえるのを、こっちからも一ツ払いて、くるりとまわして、ちょいとすくい、「は、」 とかけ声でポンと口。「おや、御馳走様ねえ。」 三之助はぐッと呑んで、「ああ号外、」・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・ 目も夜鳥ぐらい光ると見えて、すぐにね、あなた、丼、小鉢、お櫃を抱えて、――軒下へ、棚から落したように並べて、ね、蚊を払い(お菜漬私もそこへ取着きましたが、きざみ昆布、雁もどき、鰊、焼豆府……皆、ぷんとむれ臭い。(よした、よした、大餒え・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・月末の払いが不足する時などは、借金をするんも胸くそ悪し、いッそ子供を抱いたまま、湖水へでも沈んでしまおか思うことがある。」 こういう話を聴きながら、僕はいつの間にか寝入ってしまったが、酔いの覚めて行くに従って、目も覚めて来て、再び眠られ・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・と、僕の胸に身を投げて来た吉弥をつき払い、僕はつッ立ちあがり、「おッ母さんにそう言ってもらおう、僕も男だから、おッ母さんに約束したことは、お前の方で筋道さえ踏んで来りゃア、必らず実行する。しかしお前の身の腐れはお前の魂から入れ変えなけりゃア・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・私もじつは前後の考えなしにここへ飛びこんだものの、明朝になればさっそく払いに困らねばならぬ。この地へ着くまでに身辺のものはすっかり売りつくして、今はもう袷とシャツと兵児帯と、真の着のみ着のまま。そして懐に残っているのは五厘銅貨ただ一つだ。明・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・聴く所によると、彼はシナリオ料や脚本料など相当な高額を要求し、払いがおくれると矢のような催促をするそうである。おまけにそんな仕事の使いに来る人にも平気でおごらせたりしているらしい。だから、人々は辻は汚ない、けちけちと溜めている、もう十万円も・・・ 織田作之助 「鬼」
出典:青空文庫