・・・一人は、それをポチに投げると、犬は、それをくわえて、あたりを飛びまわっていました。 空の色は、ほんとうに、青い、なつかしい色をしていました。いろいろの花が咲くには、まだ早かったけれど、梅の花は、もう香っていました。この静かな黄昏がた、三・・・ 小川未明 「飴チョコの天使」
・・・吉次は投げるように身を横にして手荒く団扇を使いホッとつく嘆息を紛らせばお絹『吉さんまだ風邪がさっぱりしないのじゃアないのかね。』『風邪を引いたというのは嘘だよ。』『オヤ嘘なの、そんならどうしたの。』『どうもしないのだよ。』・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・と今来た男は捨てばちに言って、投げるように腰掛けに身をおろして、両手で額を押え、苦しい咳をした。年ごろは三十前後である。「そう気を落とすものじゃアない、しっかりなさい」と、この店の亭主が言った。それぎりでたれもなんとも言わない、心のうち・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・ 可愛い可愛いお露が遊びに来たから、今日はこれで筆を投げる。 五月四日 自分が升屋の老人から百円受取って机の抽斗に納ったのは忘れもせぬ十月二十五日。事の初がこの日で、その後自分はこの日に逢うごとに頸を縮めて眼をつぶる。なるべくこ・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・釣の座を譲れといって、自分がその訳を話した時に、その訳がすらりと呑込めて、素直に座を譲ってくれたのも、こういう児であったればこそと先刻の事を反顧せざるを得なくもなり、また今残り餌を川に投げる方が宜いといったこの児の語も思合されて、田野の間に・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・おげんは寝衣を着かえるが早いか、いきなりそこへ身を投げるようにして、その日あった出来事を思い出して見ては深い溜息を吐いた。「熊吉――この俺が何と見える」 とおげんは床の上に座り直して言った。熊吉は机の前に坐りながら姉の方を見て、・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・自分の知識が白い光をその上に投げると、これらのものは皆その粉塗していた色を失ってしまう、散文化し方便化してしまう。それを知らぬ振りに取りつくろって、自分でもその夢に酔って、世と跋を合わせて行くことは、私にはだんだん堪えがたくなって来た。自分・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・しなければするまで投げる。しまいには三つも四つも握ってむちゃくちゃに投げる。とうとう袂の底には、からからの藻草の切れと小砂とが残ったばかりである。 ふたたび白帆を見る。藤さんのはいつまでも一つところにいる。遠くの分はもう亡くなっている。・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・反対に、私の作品に、悪罵を投げる人を、例外なく軽蔑する。何を言ってやがると思う。 こんど河出書房から、近作だけを集めた「女の決闘」という創作集が出版せられた。女の決闘は、この雑誌に半箇年間、連載せられ、いたずらに読者を退屈がらせた・・・ 太宰治 「自作を語る」
・・・「それは修学期の最後における恐ろしい比武競技のように、遥かの手前までもその暗影を投げる。生徒も先生も不断にこの強制的に定められた晴れの日の準備にあくせくしていなければならない。またその試験というのが人工的に無闇に程度を高く捻じり上げたもので・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
出典:青空文庫