・・・ 増田博士は胡坐を掻いて、大きい剛い目の目尻に皺を寄せて、ちびりちびり飲んでいる。抜け上がった額の下に光っている白目勝の目は頗る剛い。それに皺を寄せて笑っている処がひどく優しい。この矛盾が博士の顔に一種の滑稽を生ずる。それで誰でも博士の・・・ 森鴎外 「里芋の芽と不動の目」
・・・その時胸から小刀が抜けてはならないので、一人の押丁が柄を押さえていた。 二 ツァウォツキイは十六年間浄火の中にいた。浄火と云うものは燃えているものだと云うのは、大の虚報である。浄火は本当の火ではない。極明るい、薔薇色・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・ 恐い夢 私は歯の抜ける夢をしばしば見る。音もなくごそりと一つの歯が抜ける。すると二つが抜ける。三つが抜けたと思わないのに、不思議に皆抜けているのである。赤い歯茎だけが尽く歯を落して了って、私の顔であるにも拘らずその歯・・・ 横光利一 「夢もろもろ」
・・・二、三年前の初夏、久しぶりに上京して東京駅から丸の内の高層建築街を抜けて濠側へ出たときであった。濠に面して新しい高層建築が建てそろっている。ここがあの荒れ果てた三菱が原であった時分から思うと、全く隔世の感がある。しかし自分を驚かせたのはこの・・・ 和辻哲郎 「城」
出典:青空文庫