・・・袴だと、拘泥しなければならない。繁雑な日本の tiquette も、ズボンだと、しばしば、大目に見られやすい。僕のような、礼節になれない人間には、至極便利である。その日も、こう云う訳で、僕は、大学の制服を着て行った。が、ここへ来ている連中の・・・ 芥川竜之介 「野呂松人形」
・・・その人はその場合文字に拘泥した為めに書けなかったのか、それともまだ/\自分の思うところや感ずるところをはっきりと掴んでいなかったのか、そのいずれかの結果であると思わねばならない。 そこで、われ/\はこういうことが云えると思う。即ち文章と・・・ 小川未明 「文章を作る人々の根本用意」
・・・そのたび彼は心が話からそれる。その拘泥がだんだん重く堯にのしかかって来た。「君は肺病の茶碗を使うのが平気なのかい。咳をするたびにバイキンはたくさん飛んでいるし。――平気なんだったら衛生の観念が乏しいんだし、友達甲斐にこらえているんだった・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・対人関係について淡白枯淡、あっさりとして拘泥せぬ態度をとるということも一つの近代的な知性ではあるが、私たちとしてはそれをとらない。やはり他人を愛し信じたのんだ上でやむなくば傷つきもし、嘆きもした方がいい。 わが国でも大正末期ごろにはそう・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・物に拘泥しない、思索ということをしない、純血な人間に出来るだけの受用をする。いつも何か事あれかしと、居合腰をしているのである。 それだから金のいること夥だしい。定額では所詮足らない。尼寺のおばさん達が、表面に口小言を言って、内心に驚歎し・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・格式に拘泥しない自由な行き方の誹諧であるのか、機知頓才を弄するのが滑稽であるのか、あるいは有心無心の無心がそうであるのか、なかなか容易には捕捉し難いように見える。しかしもし大胆なる想像を許さるれば、古の連歌俳諧に遊んだ人々には、誹諧の声だけ・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・道太は離れの二階を見上げながら言ったが、格式ばかりに拘泥っているこの廓も、年々寂れていて、この家なぞはことにもぱっとしない方らしかった。「どこか静かで気楽なところをと思っているんだけれどね、ここならめったにお客もあがらないし、いいかもし・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・したがって古に拘泥してあらゆる未来の作物にこれらを応用して得たりと思うは誤りである。死したる自然は古今来を通じて同一である。活動せる人間精神の発現は版行で押したようには行かぬ。過去の文学は未来の文学を生む。生まれたものは同じ訳には行かぬ。同・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
・・・ただ拘泥せざるを特色とする、人事百端、遭逢纏綿の限りなき波瀾はことごとく喜怒哀楽の種で、その喜怒哀楽は必竟するに拘泥するに足らぬものであるというような筆致が彼らの人生に齎し来る福音である。彼らのかいたものには筋のないものが多い。進水式をかく・・・ 夏目漱石 「写生文」
・・・以上を一口にして云えば物の内容を知り尽した人間、中味の内に生息している人間はそれほど形式に拘泥しないし、また無理な形式を喜ばない傾があるが、門外漢になると中味が分らなくってもとにかく形式だけは知りたがる、そうしてその形式がいかにその物を現す・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
出典:青空文庫