・・・然も一思いに潔く殺され滅されてしまうのではなく、新時代の色々な野心家の汚らしい手にいじくり廻されて、散々慰まれ辱しめられた揚句、嬲り殺しにされてしまう傷しい運命。それから生ずる無限の哀傷が、即ち江戸音曲の真生命である。少くともそれは二十世紀・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ 行きたくない劇場に誘い出されて、看たくない演劇を看たり、行きたくない別荘に招待せられて、食べたくない料理をたべさせられた挙句、これに対して謝意を陳べて退出するに至っては、苦痛の上の苦痛である。今の世を見るに、世人は飲食物を初めとして学・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・そこで今度は二人してまた東西南北を馳け廻った揚句の果やはりチェイン・ローが善いという事になった。両人がここに引き越したのは千八百三十四年の六月十日で、引越の途中に下女の持っていたカナリヤが籠の中で囀ったという事まで知れている。夫人がこの家を・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・ある日此男が訪ねて来て、例の如く色々哲学者の名前を聞かされた揚句の果に君は何になると尋ねるから、実はこうこうだと話すと、彼は一も二もなくそれを却けてしまった。其時かれは日本でどんなに腕を揮ったって、セント・ポールズの大寺院のような建築を天下・・・ 夏目漱石 「処女作追懐談」
・・・二人は幾つかの角を曲った挙句、十字路から一軒置いて――この一軒も人が住んでるんだか住んでいないんだか分らない家――の隣へ入った。方角や歩数等から考えると、私が、汚れた孔雀のような恰好で散歩していた、先刻の海岸通りの裏辺りに当るように思えた。・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ 彼は、自分から動く火吹き達磨のように、のたうちまわった挙句、船首の三角形をした、倉庫へ降りる格子床の上へ行きついた。そして静かになった。 暗くて、暑くて、不潔な、水夫室は、彼が「静か」になったにも拘らず、何かが、眼に見えない何かが・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・そこで欺して己が手に入れて散々弄んだ揚句に糟を僕に投げてくれた。姿も心も変り果てて、渦巻いていた美しい髪の毛が死んだもののように垂れている化物にして、それを僕に授けたのだ。それまでは、何処やら君の虚偽を感じてはいてもはっきり君を憎むという心・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・ ドミトリーは、困った揚句、一策を思いついた。「やっと考えた! やれやれ! インガ、二人で一週間かそこら、郊外へ行こう! どうだ? 或はモスクワへ。」「それから?」「フー。どうでもいいじゃないか? どうにかなるだろう。何とか・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・ たださえ集団農場化に反対な富農が女房までソヴェト役員にとられたと勘違いした揚句、村の反革命的分子を煽動して指導者を石で打殺す結果になったとしか思われない。 カターエフの誤謬は階級的闘争を大衆的に表現せず、個人の心理描写で説明しよう・・・ 宮本百合子 「インターナショナルとともに」
・・・その上余り頻りに往来した挙句に、必然起る厭倦の情も交って来る。そこで毎日来た君が一日隔てて来るようになる。二日を隔てて来るようになる。譬えて言えば、二人は最初遠く離れた並行線のように生活していたのに、一時その距離が逼り近づいて来て、今又近く・・・ 森鴎外 「二人の友」
出典:青空文庫