・・・こんにゃくはこんにゃく芋を擦りつぶして、一度煮てからいろんな形に切り、それを水に一ト晩さらしといてあくをぬく。諸君がとんぼとりにつかうもちは、その芋をつぶすときに出来るおねばのことであるが、さてそのこんにゃく屋さんは、はたらき者の爺さんと婆・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・ 下女は障子をあけて、椽側へ人指しゆびを擦りつけながら、「御覧なさりまっせ」と黒い指先を出す。「なるほど、始終降ってるんだ。きのうは、こんなじゃなかったね」と圭さんが感心する。「ねえ。少し御山が荒れておりますたい」「おい・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・例えば椅子の足の折れかかったのに腰をかけて uneasy であるとか、ズボン釣りを忘れたためズボンが擦り落ちそうで uneasy であるとか、すべて落ちつかぬ様子であります。もちろん落ちつかぬ様子と云うのは、ある時間の経過を含む状態には相違・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・その中にこのごしごしと物を擦り減らすような異な響だけが気になった。 自分の室はもと特等として二間つづきに作られたのを病院の都合で一つずつに分けたものだから、火鉢などの置いてある副室の方は、普通の壁が隣の境になっているが、寝床の敷いてある・・・ 夏目漱石 「変な音」
・・・ときっと自分の頬を子供の頬へ擦りつける。そうして細帯を長くして、子供を縛っておいて、その片端を拝殿の欄干に括りつける。それから段々を下りて来て二十間の敷石を往ったり来たり御百度を踏む。 拝殿に括りつけられた子は、暗闇の中で、細帯の丈のゆ・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・ その人は、赤い眼の下のとこを擦りながら、ジョバンニを見おろして云いました。「おっかさんが病気なんですから今晩でないと困るんです。」「ではもう少したってから来てください。」その人はもう行ってしまいそうでした。「そうですか。で・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・でそんなら門歯は何のため、門歯は食物を噛み取る為臼歯は何のため植物を擦り砕くため、犬歯はそんなら何のためこれは肉を裂くためです。これでお判りでしょう。臼歯は草食動物にあり犬歯は肉食類にある。人類に混食が一番適当なことはこれで見てもわかるので・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ 父が振かえった拍子に、犬の鼻へ包が擦りついた。犬は、砂をとばして素速く数歩逃げた。父は、ひどくびっくりしたらしく、娘達が思い設けぬ真面目な声で、「ゲッタアウエー! シッ! シッ!」と犬を叱った。娘達は傍で笑って見ている。斑犬は・・・ 宮本百合子 「海浜一日」
・・・のたのた歩き、段々広くもない町の右側に擦りよって行く。曲角でも近いのかと、首をさし延し、私は、瞬間、自分の眼を信じ得なかった。ジャパン・ホテルは、彼方の丘のクリーム色の軽快な建物などであるものか。つい鼻の先に横文字の招牌が出ている。而も、そ・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・が、切られない愛で息子の心中にある何ものかの横へまでこの母は思わず擦りよって行っているのである。「波」の中にある言葉に従えば、山本有三氏はこの社会というきたない大溝へ、せめて清水を流し込もうとしている一人の作者だと思う。この作家を愛する・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
出典:青空文庫