・・・が、その靴は砂利と擦れるたびに時々火花を発していた。僕はこのかすかな火花に何か悲壮な心もちを感じた。 それから何年かたったのち、僕は白柳秀湖氏の「離愁」とかいう小品集を読み、やはり歩兵の靴から出る火花を書いたものを発見した。(僕に白柳秀・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・「卓子の向う前でも、砂埃に掠れるようで、話がよく分らん、喋舌るのに骨が折れる。ええん。」と咳をする下から、煙草を填めて、吸口をト頬へ当てて、「酷い風だな。」「はい、屋根も憂慮われまする……この二三年と申しとうござりまするが、どう・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・気が着けば、あの、かくれ滝の音は遠くどうどうと鳴って、風のごとくに響くが、掠れるほどの糸の音も乱れず、唇を合すばかりの唄も遮られず、嵐の下の虫の声。が、形は著しいものではない、胸をくしゃくしゃと折って、坊主頭を、がく、と俯向けて唄うので、頸・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・麦の穂と穂の擦れる音が聞える。強い、掩い冠さって来るような叢の香気は二人を沈黙させた。二語、三語物を言って見て、復た二人とも黙って歩いた。 崖の道を降りかけて、漸く二人は笑い出した。隠居さんの小屋のあたりで、湯場の方から上って来る正木大・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・雛段をあるく、内裏雛の袴の襞の擦れる音とでも形容したらよかろうと思った。自分は書きかけた小説をよそにして、ペンを持ったまま縁側へ出て見た。すると文鳥が行水を使っていた。 水はちょうど易え立てであった。文鳥は軽い足を水入の真中に胸毛まで浸・・・ 夏目漱石 「文鳥」
出典:青空文庫