・・・イサーク寺では僧正の法衣の裾に接吻する善男善女の群れを見、十字架上の耶蘇の寝像のガラスぶたには多くのくちびるのあとが歴然と印録されていた。 通例日本の学者の目に触れるロシアの学者の仕事は、たいてい、ドイツあたりの学術雑誌を通して間接に見・・・ 寺田寅彦 「北氷洋の氷の割れる音」
・・・女かたの如く愛の式を返して男に接吻する」クララ遠き代の人に語る如き声にて君が恋は何れの期ぞと問う。思う人の接吻さえ得なばとクララの方に顔を寄せる。クララ頬に紅して手に持てる薔薇の花を吾が耳のあたりに抛つ。花びらは雪と乱れて、ゆかしき香りの一・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁に接吻した。自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。第二夜 こんな夢を見た。・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・両方で頻りに接吻して居る。ジャガタラ雀がじっとして居ると、キンパラはその頭をかいてやる。よくよく見て居ると、その二羽は全く夫婦となりすまして居る。その後友達がキンカ鳥の番いと、キンパラの雄とを持って来て入れてくれたので籠の中が少し賑やかにな・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・火の様になった若人の頭に額に一寸手を置いて御やりなされ、さもなくば髪の毛の上にかるい娘らしい接吻をなげて御やりなされ。第二の精霊 して御やりなされ、悪い大神の御とがめをうくるほどの事ではない。精女、ためらいながら左の手につぼをも・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・ メーラに云わせれば、感動したインガとグラフィーラとが思わず互に抱き合ったのも、接吻しあったのも、小市民気質だそうである。けれども、今はただ一人の男のとり合いをやめて和睦した二人の女が抱き合ったのではない。ひろさの違いこそあれ、同じ目標・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・の著者、オストロフスキーをもわざわざ南露に訪ね、自分の生命の最後の一滴をも人類の発展のために注ぎつくそうとしているこの若く熱烈な不具の新人間の高貴な額に、尊敬と愛着との涙をもって接吻した。 特にフランスへ帰ろうとしていたセバストーポリの・・・ 宮本百合子 「ジイドとそのソヴェト旅行記」
・・・彼はソッと妻の上にかがみ込むと、花の匂いの中で彼女の額に接吻した。「お前は、俺があの汚い二階の紙屑の中に坐っている頃、毎夜こっそり来てくれたろう。」 妻は黙って頷いた。「俺はあの頃が一番面白かった。お前の明るいお下の頭が、あの梯・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・不断に涙をもって接吻しつづけても愛したりない自分の子供なのです。極度に敬虔なるべき者に対して私は極度に軽率にふるまいました。羞ずかしいどころではありません。 私はこの事によって自分のもっと重大ないろいろな欠点を示唆されたように思いました・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
芸術の検閲 ロダンの「接吻」が公開を禁止されたとき、大分いろいろな議論が起こった。がその議論の多くは、検閲官を芸術の評価者ででもあるように考えている点で、根本に見当違いがあったと思う。 検閲官は芸術の解らない人であって・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
出典:青空文庫