・・・保吉はライスカレエを掬いながら、嫌な奴だなと思っていた。これが泉鏡花の小説だと、任侠欣ぶべき芸者か何かに、退治られる奴だがと思っていた。しかしまた現代の日本橋は、とうてい鏡花の小説のように、動きっこはないとも思っていた。 客は註文を通し・・・ 芥川竜之介 「魚河岸」
・・・おぎんはさん・じょあん・ばちすたが、大きい両手のひらに、蝗を沢山掬い上げながら、食えと云う所を見た事がある。また大天使がぶりえるが、白い翼を畳んだまま、美しい金色の杯に、水をくれる所を見た事もある。 代官は天主のおん教は勿論、釈迦の教も・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・……掬い残りの小こい鰯子が、チ、チ、チ、……青い鰭の行列で、巌竃の簀の中を、きらきらきらきら、日南ぼっこ。ニコニコとそれを見い、見い、身のぬらめきに、手唾して、……漁師が網を繕うでしゅ……あの真似をして遊んでいたでしゅ。――処へ、土地ところ・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ 俯向きざま掌に掬いてのみぬ。清涼掬すべし、この水の味はわれ心得たり。遊山の折々かの山寺の井戸の水試みたるに、わが家のそれと異らずよく似たり。実によき水ぞ、市中にはまた類あらじと亡き母のたまいき。いまこれをはじめならず、われもまたしばし・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・そしてそうした大きな鯉の場合は、家から出てきた髪をハイカラに結った若い細君の手で、掬い網のまま天秤にかけられて、すぐまた池の中へ放される。 私たちは池の手前岸にしゃがんで、そうした光景を眺めながら、会話を続けた。「いったい君は、今度・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・ 二郎やむを得ず宝丹取りだして、われに渡しければわれ直ちに薬を掬いて貴嬢が前に差しいだしぬ、この時貴嬢が眼うるみてわが顔を打ち守りたまいたる、ああ刻き君かなとのたまいしようにわれは覚えぬ。 たやすく貴嬢が掌いだしたまわぬを見てかの君・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・次に魚がぎゅっと締める時に、右の竿なら右の手であわせて竿を起し、自分の直と後ろの方へそのまま持って行くので、そうすると後ろに船頭がいますから、これが網をしゃんと持っていまして掬い取ります。大きくない魚を釣っても、そこが遊びですから竿をぐっと・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・河へ抄いに行った鰍を思出した。榎の樹の下で橿鳥が落して行った青い斑の入った羽を拾ったことを思出した。栗の樹に居た虫を思出した。その虫を踏み潰して、緑色に流れる血から糸を取り、酢に漬け、引き延ばし、乾し固め、それで魚を釣ったことを思出した。彼・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・僕は、小指のさきで泡のうえの虫を掬いあげてから、だまってごくごく呑みほした。「貧すれば貪すという言葉がありますねえ。」青扇はねちねちした調子で言いだした。「まったくだと思いますよ。清貧なんてあるものか。金があったらねえ。」「どうした・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・けれども、きょうは、この書斎一ぱいのはんらんを、はんらんのままに掬いとって、もやもや写してやろうと企てた。きっと、うまくゆくだろう。「伝統。」という言葉の定義はむずかしい。これは、不思議のちからである。ある大学から、ピンポンのたくみ・・・ 太宰治 「古典竜頭蛇尾」
出典:青空文庫