・・・が、部屋に拡がった暮色の中には、その三毛猫の二つの眼が、無気味な燐光を放つほかに、何もいるようなけはいは見えなかった。…………… 横浜。 日華洋行の宿直室には、長椅子に寝ころんだ書記の今西が、余り明くない電燈の下に、新刊の雑誌を・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・辰の刻頃より馬場へ出御、大場重玄をまん中に立たせ、清八、鷹をと御意ありしかば、清八はここぞと富士司を放つに、鷹はたちまち真一文字に重玄の天額をかい掴みぬ。清八は得たりと勇みをなしつつ、圜揚げ(圜トハ鳥ノ肝ヲ云の小刀を隻手に引抜き、重玄を刺さ・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・女人に愛楽を生ずるのは、五根の欲を放つだけの事じゃ。が、謀叛を企てるには、貪嗔癡の三毒を具えねばならぬ。聖者は五欲を放たれても、三毒の害は受けられぬのじゃ。して見ればおれの知慧の光も、五欲のために曇ったと云え、消えはしなかったと云わねばなる・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・ そこで、卓子に肱をつくと、青く鮮麗に燦然として、異彩を放つ手釦の宝石を便に、ともかくも駒を並べて見た。 王将、金銀、桂、香、飛車、角、九ツの歩、数はかかる境にも異はなかった。 やがて、自分のを並べ果てて、対手の陣も敷き終る折か・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・紅色の屋号の電燈が怪しき流星のごとき光を放つ。峰から見透しに高い四階は落着かない。「私も下が可い。」「しますると、お気に入りますかどうでございましょうか。ちとその古びておりますので。他には唯今どうも、へい、へい。」「古くっても構・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ 黒い毛氈の上に、明石、珊瑚、トンボの青玉が、こつこつと寂びた色で、古い物語を偲ばすもあれば、青毛布の上に、指環、鎖、襟飾、燦爛と光を放つ合成金の、新時代を語るもあり。……また合成銀と称えるのを、大阪で発明して銀煙草を並べて売る。「・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ このうす紫色の、花の放つ高い香気は、なんとなく彼女の心を悲しませずにいませんでした。「冬を前にして、なんと私たちは、悪い時代に生まれてこなければならなかったのだろう。」 彼女が、こういっているのを、だまってきいていた野菊は、・・・ 小川未明 「冬のちょう」
・・・背低き櫨堤の上に樹ちて浜風に吹かれ、紅の葉ごとに光を放つ。野末はるかに百舌鳥のあわただしく鳴くが聞こゆ。純白の裏羽を日にかがやかし鋭く羽風を切って飛ぶは魚鷹なり。その昔に小さき島なりし今は丘となりて、その麓には林を周らし、山鳩の栖処にふさわ・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・いたく古びてところどころ古綿の現われし衣の、火に近き裾のあたりより湯気を放つは、朝の雨に霑いて、なお乾すことだに得ざりしなるべし。 あな心地よき火や。いいつつ投げやりし杖を拾いて、これを力に片足を揚げ火の上にかざしぬ。脚絆も足袋も、紺の・・・ 国木田独歩 「たき火」
・・・日光とか碓氷とか、天下の名所はともかく、武蔵野のような広い平原の林が隈なく染まって、日の西に傾くとともに一面の火花を放つというも特異の美観ではあるまいか。もし高きに登りて一目にこの大観を占めることができるならこの上もないこと、よしそれができ・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
出典:青空文庫