・・・ またあるいは人の説に、官立の学校を廃して共同私立の体に変じ、その私立校の総理以下教員にいたるまでも、従前、官学校に従事したる者を用い、学事会を開きて学問の針路を指示するが如きは、はなはだ佳しといえども、その総理教員なる者は、以前は在官・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・読は、府県名・国尽・翻訳の地理・窮理書・経済書の初歩等を授け、あるいは訳書の不足する所はしばらく漢書をもって補い、習字・算術・句読・暗誦、おのおの等を分ち、毎月、吟味の法を行い、春秋二度の大試業には、教員はもちろん、平日教授にかかわらざる者・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・のみなれば、学者もまたこれに近づくを屑とせず、さりとて俗を破りて独立の事業をくわだつるの気力もなく、まずその身に慣れたる学校世界に引籠りて人を教うる業につく、すなわち学校の教育により学校の教員を生ずること多きゆえんにして、したがって教えられ・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・ 学校といっても入口とあとはガラス窓の三つついた教室がひとつあるきりでほかには溜りも教員室もなく運動場はテニスコートのくらいでした。 先生はたった一人で、五つの級を教えるのでした。それはみんなでちょうど二十人になるのです。三年生はひ・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
「煙山にエレッキのやなぎの木があるよ。」 藤原慶次郎がだしぬけに私に云いました。私たちがみんな教室に入って、机に座り、先生はまだ教員室に寄っている間でした。尋常四年の二学期のはじめ頃だったと思います。「エレキの楊の木・・・ 宮沢賢治 「鳥をとるやなぎ」
・・・すぐ上り口に校長室と白い字で書いた黒札のさがったばらで仕切られた室がありそれから廊下もあります。教員室や教室やみんなばらの木できれいにしきられていました。みんな私たちの小学校と同じです。ただちがうところは教室にも廊下にも窓のないことそれから・・・ 宮沢賢治 「茨海小学校」
・・・ところが「教員生活の最初の下劣さ」として、先輩教員らのへつらい屈伏を目撃し二宮金次郎の話をして児童から「私は金次郎は感心ですけれど万兵衛はわるいと思います」といわれたことを契機に、猛然と自分のかけられてきた師範学校的世界観の魔睡を批判しはじ・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・ 三名 一名 ― ― ― ― 二名酒造家 一名 五名 ― 一名 ― 一名 二名著述家 四名 二名 一〇名 ― 四名 二名 六名教員 八名 三名 三名 一名・・・ 宮本百合子 「一票の教訓」
・・・姑く今数えた人の上だけを言って見ように、いずれも皆文を以て業として居る人々であって、僅に四迷が官吏になって居り、逍遥が学校の教員をして居る位が格外であった。独り予は医者で、しかも軍医である。そこで世間で我虚名を伝うると与に、門外の見は作と評・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・とお家流で書いた看板の下を潜って、若い小学教員が一人度々出入をしていたということが、後になって評判せられた。 森鴎外 「カズイスチカ」
出典:青空文庫