・・・に依て行われる、豊富なる生殖は常に健全なる生活から出るのである、斯くて新陳代謝する、種保存の本能大に活動せるの時は、自己保存の本能は既に殆ど其職分を遂げて居る筈である、果実を結ばんが為めには花は喜んで散るのである、其児の生育の為めには母は楽・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・ればまだまだ心怯れて宝の山へ入りながらその手を空しくそっと引き退け酔うでもなく眠るでもなくただじゃらくらと更けるも知らぬ夜々の長坐敷つい出そびれて帰りしが山村の若旦那と言えば温和しい方よと小春が顔に花散る容子を御参なれやと大吉が例の額に睨ん・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・はかなげに咲き残った、何とかいう花に裾が触れて、花弁の白いのがはらはらと散る。庭は一面に裏枯れた芝生である。離れの中二階の横に松が一叢生えている。女松の大きいのが二本ある。その中に小さな水の溜りがある。すべてこの宅地を開く時に自然のままを残・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・机上のコップに投入れて置いた薔薇の大輪が、深夜、くだけるように、ばらりと落ち散る事がある。風のせいではない。おのずから散るのである。天地の溜息と共に散るのである。空を飛ぶ神の白絹の御衣のお裾に触れて散るのである。私は三井君を、神のよほどの寵・・・ 太宰治 「散華」
・・・ その葉は散るまで青いのだ。葉の裏だけがじりじり枯れて虫に食われているのだが、それをこっそりかくして置いて、散るまで青いふりをする。あの樹の名さえ判ったらねえ」「死ぬ? 死ぬのか君は?」ほんとうに死ぬかも知れないと小早川は思った・・・ 太宰治 「葉」
始めてこの浜へ来たのは春も山吹の花が垣根に散る夕であった。浜へ汽船が着いても宿引きの人は来ぬ。独り荷物をかついで魚臭い漁師町を通り抜け、教わった通り防波堤に沿うて二町ばかりの宿の裏門を、やっとくぐった時、朧の門脇に捨てた貝・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・花の植物生理的機能を学んで後に始めて充分に咲く花の喜びと散る花の哀れを感ずることもできるであろう。 人間の文化が進むにつれて、文学も進化しなければならないはずである。すべての世間の科学的常識が進んで行く世の中に文学だけが過去の無知を保守・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・また梅が散る春寒の昼過ぎ、摺硝子の障子を閉めきった座敷の中は黄昏のように薄暗く、老妓ばかりが寄集った一中節のさらいの会に、自分は光沢のない古びた音調に、ともすれば疲れがちなる哀傷を味った事もあった。 しかしまた自分の不幸なるコスモポリチ・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・蜀山人が作にも金竜山下起二金波一 〔金竜山下に金波を起こし砕二作千金一散二墨河一 千金を砕作して墨河に散る別有三幽荘引二剰水一 別に幽荘の剰水を引ける有りて蒹葭深処月明多 蒹葭深き処月明らかなること多れり〕・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・黄ばんだ葉が蒼い冴えた空から力なさ相に竹の梢をたよってはらはらと散る。竹はうるさげにさらさら身をゆする。落葉は止むなく竹の葉を滑ってこぼれて行く。澁い枳の実は霜の降る度に甘くなって、軈て四十雀のような果敢ない足に踏まれても落ちるようになる。・・・ 長塚節 「太十と其犬」
出典:青空文庫