一 私は今年四十二才になる。ちょうどこの雑誌の読者諸君からみれば、お父さんぐらいの年頃であるが、今から指折り数えると三十年も以前、いまだに忘れることの出来ないなつかしい友達があった。この話はつくりごとでないから・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・ こんな事を識すのも今は落した財布の銭を数えるにも似ているであろう。 ○ 東京の郊外が田園の風趣を失い、市中に劣らぬ繁華熱閙の巷となったのは重に大正十二年震災あってより後である。 田園調布の町も尾久三河・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ 昭和十二年、わたくしが初めてオペラ館や常盤座の人たちと心易くなった時、既に震災前の公園や凌雲閣の事を知っている人は数えるほどしかいなかった。昭和の世の人たちには大正時代の公園はもう忘れられていた。その頃オペラ館の舞台で観客から喝采せら・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・ 京都の深田教授が先生の家にいる頃、いつでも閑な時に晩餐を食べに来いと云われてから、行かずに経過した月日を数えるともう四年以上になる。ようやくその約を果して安倍君といっしょに大きな暗い夜の中に出た時、余は先生はこれから先、もう何年ぐらい・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生」
・・・何しろ人間一生のうちで数えるほどしかない僅少の場合に道義の情火がパッと燃焼した刹那を捉えて、その熱烈純厚の気象を前後に長く引き延ばして、二六時中すべてあのごとくせよと命ずるのは事実上有り得べからざる事を無理に注文するのだから、冷静な科学的観・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・ほんにわたしの嬉しいと思ったその数は、指を折って数えるほどであるけれど、その日の嬉しかった事は夢のようでございました。この窓の前の盆栽の花は、今もやはり咲いている。ここにはまたその頃のがたがたするような小さいスピネットもある。この箪笥はわた・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・この見地からその特色を数えるならば次の諸点に帰する。一 これは正しいものの種子を有し、その美しい発芽を待つものである。しかもけっして既成の疲れた宗教や、道徳の残滓を、色あせた仮面によって純真な心意の所有者たちに欺き与えんとするもので・・・ 宮沢賢治 「『注文の多い料理店』新刊案内」
・・・「その数字を数えるというのはきっとだめだよ。」 とうとうわたくしは云いました。「どうして?」ファゼーロもミーロもまっすぐに立ってわたくしを見ています。「なぜって第一わたしは花にそんな数字が書いてあるのでなくて、それはこっちの・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・日本では失業を数える時には男子の失業だけ数えるのでありまして、つい先だって五百八十三万といっておりました。そして二、三日前には数ヵ月のうちにそれがうんとふえるだろうと書いてありました。ところがあのなかに婦人の失業者は入れてない。なぜかといえ・・・ 宮本百合子 「幸福の建設」
・・・ことに運転し始めたばかりの臨時汽車は人が知らないのでほとんど数えるほどの人数しか乗らない。恐らく皆が一晩とにかく寝通して行けるだろう。特に子供は助かる。それに反して普通の直行は臨時汽車の運転を必要とするくらいだからひどくコムに相違ない――で・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
出典:青空文庫