・・・夏の最中には蔭深き敷石の上にささやかなる天幕を張りその下に机をさえ出して余念もなく述作に従事したのはこの庭園である。星明かなる夜最後の一ぷくをのみ終りたる後、彼が空を仰いで「嗚呼余が最後に汝を見るの時は瞬刻の後ならん。全能の神が造れる無辺大・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・先生の踏む靴の底には敷石を噛む鋲の響がない。先生は紀元前の半島の人のごとくに、しなやかな革で作ったサンダルを穿いておとなしく電車の傍を歩るいている。 先生は昔し烏を飼っておられた。どこから来たか分らないのを餌をやって放し飼にしたのである・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生」
・・・一弁は梅鉢の形ちに組んで池を囲える石の欄干に中りて敷石の上に落ちた。「次に来るは応諾の時期である。誠ありと見抜く男の心を猶も確めん為め女、男に草々の課役をかける。剣の力、槍の力で遂ぐべき程の事柄であるは言うまでもない」クララは吾を透す大いな・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・それから二十間ばかり敷石伝いに突き当ると、古い拝殿の階段の下に出る。鼠色に洗い出された賽銭箱の上に、大きな鈴の紐がぶら下がって昼間見ると、その鈴の傍に八幡宮と云う額が懸っている。八の字が、鳩が二羽向いあったような書体にできているのが面白い。・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・向うの敷石の上を立派な婦人が裾を長く引いて通る。「家の内での御引きずりには不賛成もありませんが、外であんな長い裾を引きずって歩行くのはあまり体裁の善いものではありませんね」と裾短かなるレデーは我輩に教うる処あった。ようやく「ツーチング」とい・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・こっちへ開いたら、俺は下の敷石へ突き落されちまうじゃないか。私は押した。少し開きかけたので力を緩めると、又元のように閉ってしまった。「オヤッ」と私は思った。誰か張番してるんだな。「オイ、俺だ。開けて呉れ」私は扉へ口をつけて小さい声で・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ 大小不同の歩き工合の悪い敷石を長々と踏んで、玄関先に立つと、すぐ後の車夫部屋の様な処の障子があいて、うす赤い毛の、ハッキリした書生が、 どなた様でいらっしゃいますか。ときいた。「昆田」と云う誰でもが覚えにくがる栄蔵・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・小さい門があって、わり合落付いた苔など生えた敷石のところを一寸歩いて、格子がある。そこをあけると、玄関が二畳でそこにはまだ一部分がこわれたので、組立てられずに白木の大本棚が置いてあり、右手の唐紙をあけると、そこは四畳半で、箪笥と衣桁とがおい・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・二十五日の夜、徹宵この敷石道の上をオートバイが疾走し篝火がたかれ、正面階段の柱の間には装弾した機関銃が赤きコサック兵に守られて砲口を拱門へ向けていた。軍事革命委員会の本部だったのである。 今スモーリヌイには、レーニングラード・ソヴェト中・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・最後の一人をのせ、最後の一台が出発し切ると、魔法で、花崗岩の敷石も、長い長い鉄の軌道もぐーいと持ち上ってぺらぺらと巻き納められてでもしまいそうだ。子供の時分外でどんなに夢中で遊んでいても、薄闇が這い出す頃になると、泣きたい程家が、家の暖かさ・・・ 宮本百合子 「粗末な花束」
出典:青空文庫